教育なんて楽じゃないよ

朝日新聞ドラゴン桜を真似てみた高校の話が載っていましたが、実効性はどうなのでしょう。
「受験の数学は暗記だ」というのが、理系の学生の一人としてすごく気になりました。
私はこれに断固反対です。
五十五になって数学は暗記だという考えが日本をダメにするということに気づかないのでしょうか。
確かに、合格実績を上げるためだけなら暗記法というのも意味があるのかもしれません。
しかし、数学の本当の美しさ、楽しさというのは暗記からは決して生まれず、創意工夫の足を引っ張ることは明らかです。
大体、単語帳にかける程度の数学など、問題を解いていくうちに自然と身体が覚えてしまうものです。
カーブやフォークの投げ方を暗唱しようとする野球少年や、
リフティングのやり方を暗記しようとするサッカー少年と同じで、
だれがどーみても何か間違えています。
実際に投げるなり蹴るなりして覚えるほうが先決です。
それで東大に入られた方には申し訳ありませんが。
イギリスの大学で面接を受けるとき、どういう質問をされるかご存知ですか?
「ここに精度のよくない気圧計があります。エッフェル塔の高さを測るのにはどうすればよいでしょうか」
又聞きでは、こういう感じの問題なのだそうです。
おそらく日本の暗記バカは「てっぺんと地上の気圧差で測ります」と答えるでしょう。
正解は「気圧計を落として地上に到達するまでの時間で高さを測る」だそうです。
せっかく「精度が悪い」気圧計だといっているのにもったいない。
日本の小学校では「3×5は?」とききますが
「3をかけると15になる数は?」ときくことはありません。
同じことは数学でも言えます。
単語帳で数学を覚えている方は三角関数の加法定理は覚えているかもしれませんが、
加法定理の導き方を覚えているのでしょうか?
パズルみたいにして楽に求められるのですが。
一面的な勉強方が教える側には楽でも、教わる側には不幸だということに気づくべきでしょう。