ご指摘

じゃあ、歴史を振り返ってみますか。記憶に頼っているのでかなり怪しいけど。
ハルノートはなぜ出されたか。
日本の南部仏印進駐が引き金です。
なぜ日本はインドシナ半島に派兵せねばならなかったのか。
欧米による蒋介石支援を妨害するためです。
ということは根本は日中戦争に行き着くわけです。
日中戦争といえば盧溝橋事件ですが、あれについては衝突から全面戦争まで一ヶ月ほどかかっていたはずです。
ついでに交渉打ち切りにいたるまで五ヶ月もかかっていたような気がします。
それだけの時間があれば、仮に日中が全面戦争をするとして、日本側の明確な戦略目標が立ってもおかしくありません。
ましてや満州事変から数年を経ているわけで「もし戦争になったら、どこからどこまで占領すれば中華民国は降伏するだろう」という研究すらできるはずなのではないかと、素人である私は思っています。
それに関する資料を私は知らないので、長期的な予想とか最終目標を立てずに「なんとかなる」で行動したのだと思い込んでいたのですが。
歴史に「もしも」はありませんが、当時の日中間でなんらの妥協点も見出せなかったはずは無いと思います。
日本の指導者全員がトリ頭で行き当たりばったりだったとは思っていないし、むしろ賢明な人は多かったと思っています。
しかし、日中戦争、ひいては満州事変のあたりから、日本のどこかで「なんとかなる」と考えていた勢力が台頭してきたのではないか。
私はそう考えていただけです。
「向こうが最初に撃ってきた」「他国の陰謀だ」
戦争の原因をそれらに帰着させるのは簡単です。
でも、それをいうなら簡単に挑発に乗ったこちらにも原因があると言えます。
「自衛のため」は有史以来戦争の口実に使われてきた、いわゆる錦の御旗ですし。
そう考えると、戦争なんてするものじゃないし、どうしてもやるなら明確で実現可能、できれば博打性の無いなものにとどめて欲しいです。