米軍にまつわる基地ころがし

世にアングルドデッキは数あれど、陸上に作られるのは珍しいのではないでしょうか。
まあ、あれだけの大掛かりな空港計画が15年なんて短い期限で使われるわけはなくて、絶対に恒久施設なわけです。二本あればスクランブルのときにも苦労しませんし、建設の際にも地元にお金がいっぱい落ちます。ジュゴンも珊瑚も知ったこっちゃない、というのが政府の考えでしょう。
地政学的に考えても沖縄が要衝となるわけですから、そこに一大拠点を築くのには反対しません。お隣の国は相変わらずけんか腰ですし、チャイニーズタイペイDPRKがこの世にある限りアメリカ様は沖縄から出て行く気を起こさないでしょう。
そのことを考えれば、今回の辺野古の話は、解のひとつとして合格でしょう。
では、なぜ私は今、釈然としない怒りを覚えているのか。
この問題は外交と密接に絡んでいるのですから、基地問題は国の防衛政策、外交政策を絡めた、かなり大きな問題なわけです。
しかし、表向き語られたのは、自然環境や生活環境といった言ってしまえば枝葉末節に値するはずの問題なのです。滑走路を二本、というのは環境問題に対する効果よりも、基地の戦力に対する効果のほうが大きいはずです。だからこそ米軍も了解したのでしょう。あんな海上の、さえぎるものがなにもない空間で、飛行ルートがずれたぐらいでは騒音問題が解決するわけがありませんから。
私は、こういったことが何も語られないことに、うんざりしているのかもしれません。
ごまかされた、というか、なんと言うか。
偶然か計画的なのか(おそらく後者だろう)、民主党の代表戦にぶつけましたし。
言う人に言わせれば「国民は知らなくていい」のかも知れませんが、そうやってオブラートに包んで政策を作り上げていく、政府がブラックボックス化するのって、不安に思う。
情報公開が進むといっても、こういったタイムリーな話題が公開されることはないでしょう。私は影絵を見ている観客でしかなく、スクリーンの裏側で何が行われているのか知るすべを持たないのが不安なのです。
それが影絵であるからかまわないのであって、私の生活に密着しているものがその有様では、信用が置けない。
信用の置けないものを愛する気は、さらさらありません。