「勧誘」と書いて「かどわかし」と読む

今年も新歓の時期でございます。すなわち、無事に大学への進学を果たしたいたいけな少年少女たち(一部二十代)をサークルに引っ張り込む時期ということです。新入生歓迎を意味する「新歓」は、その実「カン」の部首が「欠」ではなく「力」でありまして、この事実のために合格者一覧の前で行われる胴上げの百倍にも上る膨大なエネルギーが、日本全国で費やされているのです。特に、一学年が選任を超えるような大学では、局所的に説明不可能なほどの労力が動員されています。
さて、大学のに関係するありとあらゆる人物は、ビラ、看板、掛け声、交通整理といったさまざまな形でこの事象にかかわっているわけでして、ご多分に漏れず私もここ数日、もとい、今月はその一人となるわけであります。私の役割といえば、主にビラ印刷の手伝いや、テントの中で右も左も分からずおどおどする新入生の方々に高圧的ににこやかにオペラのすばらしさ、合唱の楽しさを伝えることです。口車に乗せるとも言います。
伝えると一言で書きましたが、これが意外と難しい。容易にできるヒトは、まじめに学生などやらずに詐欺師になった方が金になると思えるほど難しいのです。
まず最初に気をつけねばならないことは、手短に伝えねばなりません。新入生というのは、大学の手続きのためにやってきております。すなわち、彼らの頭の中では書類に記入して署名捺印、学生証をもらってそれでおしまい、一時間もあれば済むだろうという考えで大学にやってきております。よもや出口にラグビー部とアメフト部、漕艇部に野球部がテントを張り、出口からテントまで蟻も通さぬ人垣を築いているとは露ほども思っておりません。そして、その喧騒の中にわれわれ文化系のサークルがもぐりこめる余地など残されていないのです。ようやくテント村からの脱出を果たした新入生は、今度は両手で数え切れないほどのテニスサークルに袖を引かれ、武道家に肩を捉まれ、後生大事に抱えた生協の紙袋が目印であるのを知らずに、なぜ自分が新入生だと分かるのだろうと首を傾げつつ、ようやくわれわれのテントの前にやってくるという手はずになっているのです。
そんな新入生に時間をかけて説明しても、耳を傾けてくれるわけがありません。ひとまず労をねぎらい、お茶を出して菓子を勧めるのが筋というものでしょう。ここで気をつけねばならないのは、間をおいてはいけないということ。新入生は疲労の極みに達しているわけでして、一服すれば素に戻ってしまうのです。時間がたてば、最初のほうの説明も忘れてしまうし、今行われている説明よりもパイプ椅子の堅さに思考を取られてしまいます。ですから、手短に、間断なくというのがコツです。
どれくらい手短かというと、どこのサークルでもやらされる名前と連絡先の記入と並行して説明をしてしまうこと。ある程度こちらの話を聴く気のある学生は、書いている最中に話をされると、途中で何の話題だったのかを思い出そうとして記憶を反芻します。これがミソでして、反芻させられた記憶はより強く定着します。これは、一つのセールスポイントをくどくど繰り返すテレビショッピングと同じ原理です。ただし、こちらが同じ話を何度もするのではなく、向こうが自主的にですが。
忘れてはならないことは、パンフレットに掲載されている順番で説明をすること。いちいち説明のページを探しているとあわただしいので、順番に説明していくとこちらも楽ですし、後でパンフレットを読み直す新入生も分かりやすい。
もう一つ、話に流れをつけること。話題を導入したら、そこから次の話題への誘導をしつつ説明を続けていく方が、説明も楽だし聞くほうも分かりやすい。話題を前後させることは、混乱の元です。みなまで言わなくてもパンフレットを読めば分かるので、こちらとしては強調したい点、書かれていない点さえ言えば良いのです。
質問を受けたら3つ数えるうちに答え始めるというのも重要です。考えて正確な答えを言うよりも、簡潔に手元にある資料や記憶から説明し始めると新入生がいらいらせずに済みます。
そして最後に、新入生に聞いてくれた御礼を述べること。終わりよければすべてよし、ということです。