今日は憲法記念日だっけ

友人知人親族その他が読むブログで政治的なことを書くのは好きじゃないのだけれど、今日という日が今日という日だし*1、選挙権を持った以上はこの先一生付きまとう問題なのだろうから、ちょろっと書くだけなら問題にはならないでしょう。いつぞやのトラウマもありますから慎重に書かないとね。
憲法といえば学校の授業で「この国の最高法規であり大切な云々」を耳にたこが出来るほど聞かされてきたわけですが、曰くそれが時代に合わなくなっているらしい。
で、時代に即した憲法にしようという話が持ち上がっている。
誤解を恐れずに言うならば、大変結構なことだと思います。
何をどう変えるかという話を無視して、今あるドグマに無理が生じた場合に解釈の変更ではカバーしきれなくなったら、ドグマそのものを変えてしまうというのは人類がこれまでも何度もやってきたことでした。
日常生活なら万有引力の法則で説明がつきますが、GPSを機能させるためには相対性理論を使わねばならないわけですし、例えば環境権が現行憲法で言及されていないといわれれば、なるほど言及させる必要があるとも感じられます。
変える必要のあるところは改正するべきだし、いじくらんでもいいところはいじくらん方がいい。
……平々凡々な結論ですが、現在の生活に特に不便を感じず、将来にも何の不安も抱いていない私は、気に入った改正案に丸をつければいいか程度の感覚です。
中には中国や北朝鮮が攻めて来たらどうするんだと言う人もいますが、憲法が変わればどうにかできるという問題ではないような気がします。
例えば、第二次大戦を見れば、非武装中立国も武装中立国も、小国も大国も安全保障を掛け合っていた国々さえ、軒並み戦禍に巻き込まれてしまいました。戦争なんて巻き込まれるときは巻き込まれますし、備えあれば憂いなしかといえば、十分備えていたつもりの国々さえその備えなど砂上の楼閣に過ぎなかったわけですから、戦争を避ける方法はおろか、巻き込まれても絶対に対処できるメソッドなどないわけです。
少なくとも、機密情報すらだだ漏れさせてしまうわが国の自衛軍には、憲法のお墨付きよりは規範意識の叩き込みの方が優先されるべきだと思います。


さてさて、なんだか話の方向性が怪しくなってきたので、気分転換に改憲したい人たちの意見を聞いてみることにしましょう。
一番改憲に熱心なのは政権与党の自民党さんです。多分。少なくともマスコミの扱いは改憲自民党です。
食わず嫌いをしても仕方がないので、政権パンフレットを見てみましょう。
さて、その意気込みや如何……

私たちが目指す、この新しい憲法を一言で表すとすれば、それは、国民の国民による「国民しあわせ憲法」ということです。

……言葉尻を捉えるつもりはないのですが、リンカーンと小学校の教科書を足して二で割ったような言葉でまとめられると、見え見えのプロパガンダを通り越してこの人たちにとっての憲法ってのはその程度のものなのかと感じてしまいます。
あくまで印象です。
何しろ、憲法改正のポイントと銘打ったパンフレットでさえ、どこを具体的にどう変えるという話は書かれていないのであり、今のところどう変えればよいのかを模索しているという段階のようです。
憲法の改正する方向すらも茫漠としているのはいささか不安ですが、これに対しては批判をするより発破をかけるべきでしょう。
わが国のスタンスは、基本的に何をやっても構わない、みんなが気に入ればそれが正義というものなのですから、憲法改正それ事態が悪いことだという思考停止よりははるかにマシです。何かに遠慮するよりも、(政治屋のおじ様方に出来るかは知りませんが)意固地にならずに柔軟な思考で活発な議論を時間制限なしで繰り広げて意見の収束を図れればそれに越したことはありません。
パンフレットの戻るボタンのリンク先がおかしいことと、「制定から60年近く改正していないのはうちくらい」というバスに乗り遅れるな的な煽り文句にはかなり不満がありますが。


なんだか良い落ちを作れませんが、無理やりまとめを作るとすれば、憲法改正に関しては誰もまだスタートラインにすらたっていないのです。
否、スタートラインには立っているのでしょう。既に走り始めてすらいるのかもしれません。
それにもかかわらず、目指しているのは「より良い日本」というあいまいで当然な未来像でしかないのです。
いくつか具体的に語られている気もしますが、生煮えの感がぬぐえません。
今、私が一番考えるべきなのは「変えるか変えないか」という二者択一ではなく、何をどう変えて欲しいのか、そして、変えた結果として何が出来るようになり、何が出来なくなるのか、孕んでいる危険性は何か、そういうことなのだと思います。
それが多くの人が実践している「積極的なかかわり方」というものであるのは重々承知なのですが……

*1:なんとか今日中に書き終わった!