亡命

東京の鬱屈した日々に嫌気が差したので家族ではるか南西、沖縄は石垣島まで亡命してきました。二泊三日ほど。
祖父母と一緒でしたが、あいにくと父は仕事でパス。
行きの羽田空港で、厳戒態勢の成田空港でもロンドンヒースローでもばれなかった手荷物ご禁制の品を見つけられる。恐るべし。国際空港を二度も突破できたんだから大丈夫だろうと高をくくっていたのが甘かったらしいです。ちなみに、完全な没収ではなく目的地に着いたら返してくれました。ものによってはその場で廃棄らしいので、みなさん冒険はよしましょう。
他にも手荷物検査場には、ペットボトルの中身をふたを開けずに調べる機械(どういう仕掛けなんだろう?密度とかかな?まさか分光計のわけはなし……)があったりして、500ミリのペットボトルが検査にかけられていました。
さて、那覇経由で石垣島へ行くので、先だって燃えた飛行機も滑走路から観察、もとい野次馬できました。
滑走路から丸見えの場所というのがかわいそう。力尽き、燃え尽きた機体*1は哀愁が漂います。そして、乗ってる機種が同じというのは公然の秘密。
石垣空港では、かんかん照りの夏空に出迎えられました。東京はようやく涼しくなったというのに、やはり三月に海開きする地域は違いますね。でも、風が吹いているので日陰でじっとしてれば過ごせそう。
タクシーは初乗り390円とか、石垣島沖縄県で3番目に大きい島で、1番高い山を持ってるとか、そういうスペック話はいいよね?
沖縄名物サトウキビ畑と石垣牛のための牧草地が、別荘や貸しマンション、ホテルの林立する市外をぐるりと囲っています。高い建物が少ないおかげで、風のとおりはよさそう。沖縄の人は声がやさしくていいね。親切だし。
高台に上がると、某NHKの連ドラで一躍有名になった小浜島竹富島の後ろに西表島が見えます。
夕食は居酒屋。南方の島ということで、魚料理もイラブチャーのような現地で取れた魚を使ったものが多い。こっちでは家族連れで入れるレストランといった使い方らしく、子供もいっぱいいました。というか、本土の居酒屋の年齢層が偏ってるだけなのだという気もします。


翌日は、竹富島へ。船でさんご礁を堪能した後、牛車に乗ってきました。
さんご礁は最近死んでしまったものも見えてちょっと残念。元気なところは熱帯のさんご礁なので、そのコントラストがなおさら。
竹富島は、中心部が景観保存地域となり、新たな建物は全て平屋に赤瓦指定。道路は未舗装の砂地(といっても十分堅い)なので、なんかいかにも田舎に来たなぁって気分になります。昼間に出歩くのは観光客だけ。この暑さは日陰で風に当たってやり過ごさねば、生きていけませんから。もちろん、観光客の私は砂浜で熱帯の海を眺めて、牛車に乗せてもらいました。
時間がゆっくり流れている。なるほど、退職したら移住しようと考える都会人が多い理由がわかる気がする。
そのおかげと、明和の大津波の人口減で江戸時代から石垣島に住んでいる住民は、全体の1割だとか。殖民の島なんですねぇ。


最終日、つまり今日は島の北西部、川平湾へ。
かつては船はこの入り江についていたそうです。なるほど、波もなく浅い湾内は、家庭用のヨットが何艘も停泊中。南国、エメラルドの海、白い浜、ヨットと来れば、絵になりますね。時間があれば水着で泳ぎたいのですが、日差しが強すぎて日焼けがえらいことになりそうです。日焼け止めつけて水に入る気にならないなぁ。



なんだか凄くあっさりと書いてしまいましたが、沖縄はいいところです。男女問わず心身ともに元気なため、人間がきれい。

*1:もちろん、読み仮名がボディというのは工学部生の義務だよね!