幸せ

単語にはそれぞれ意味があります。
その意味のなかには、似た単語同士を区別するものもあります。
たとえば、英語でいうと「jump」と「spring」には、どちらにも「跳ねる」という意味があるのですが、「jump」の側には自分からびょーんと伸び上がるイメージがあるのに対して、「spring」には何かたがが外れてびょーんと伸びたような印象があります。英作文で「犬に散歩に行くぞと言ったら、飛び上がってやってきた」とかやるのであれば、「jump up」よりは「spring up」を使ったほうがイメージどおりなのかもしれません。最近、英語にご無沙汰なのでいまいち自信がありませんが。
和文英訳よりも難しいのが、英文和訳。英文に限らず、外国語の翻訳で特に難しいのが、文学作品の翻訳でしょう。
なにしろ、単語にこめられたニュアンスを上手く引き継ぐというのは至難の業です。
私が総監督をやっている愛の妙薬には、有名な「人知れぬ涙」という歌があるのですが、その中に
「Co' suoi sospir confondere per poco i miei sospir」
というくだりがあります。イタリア語です。一言で言えば
「僕と彼女のため息が混ざり合った」
なのですが、「per」が「〜の方向へ」、「poco」は「少し」ですから「彼女のため息が少しだけこちらのほうへ混ざってきた」のほうが元のイメージに合う気がします。ヒロイン自信は主人公につれなかったので、合点がいきます。
「confondere」は英語の「confuse」に近いので、混ざり合うと言っても一つになったと見るよりは、糸と糸が絡み合った印象を受けます。
主人公のネモリーノは、ヒロインのアディーナにずっと恋焦がれていたが、それを実は知っているのに彼女はつれない。でも、かくかくしかじか、妙薬の効果か村娘たちにちやほやされるネモリーノを見た彼女は、とうとう自分もネモリーノを愛していることに気づいた。そして、妙薬を得るために彼が軍隊に身売りまでしたと、彼女が知った時の様子を見て、ネモリーノが万感を込めて歌った歌。
単独で歌われることもありますが、そういうあらすじを踏まえれば、なんとも奥の深いものです。

人知れぬ涙が彼女の目に浮かんだ。
まるで陽気な娘たちをうらやむように。
僕はこれ以上何を求めているのだろう?
僕を愛している。それは解ったのに。


一瞬だけど、彼女の美しい心の拍動を感じた。
彼女の吐息が、僕のため息と少しだけ絡み合ってくれた。
神様、僕はもう死んでもいい。
もう何も望みません。

喜劇の中にあるからこそ映える真面目な場面なのだと思います。
否、主人公のネモリーノは、喜劇の中にあってもっとも真剣に生きているのです。
作詞を担当したロマーニも、要所の押韻で美しさに磨きをかけています。
そして、それに出会えた私は果報者です。