なんかもう

なんかもうどうでもよくなっちゃった。
自己満足は良いんですよ。
自己満足を他人に見せ付けるのも勝手ですよ。
それを否定したら人間の存在意義をなくします。
でも、自己満足を他人に見せるに際して守りに入っちゃってる人を目の当たりにすると、見ている側も辛くなってくる。
もちろん、世の中が思い通りに行くわけはないのだから、思い通りの自己満足ができずに若干物足りなくなるというのはかまいませんよ。
人類なんて有史以来、理想と現実の狭間に頭を悩ませてきたんですから。
だからかえって意図的に目標を一歩引き下げて「思い通りにいくけれども満足しきれない自己満足」を最初から目指しているのを見るのは拷問に近い。
というよりも見る側にとってはバカにされたとしか思えない。
そういうのを笑顔で見ていられるほど、私は大人じゃないんですよ。残念ながら。
現実を見ているんだという言い訳もあるのだろうけれど、残念ながらそれは日本語の意味を取り違えている。
この言葉は、到達可能な目標を掲げることではなく、目標に関係なく到達した地点を到達点と認めるというほどの意味でしかない。
到達点に不満があるなら、機会が残っている限り目標へ向かっていけば良いじゃないですか。因果律に縛られて現在までの過去は変えられないのだから。
あきらめたらそこで終わりっていうのは、励ましの言葉なんかじゃなくて、機会が残っているのに到達点を受け入れるのならば、機会の有無が意味をなくすというほどの意味なんですよ。機会が残されているのに、残されていない人と同じ振る舞いをするのは本当に残されていない人への冒涜ですよ。