無名の一市民最強説

世の中しょうもないニュースは尽きないもので。
早大生テスト中のカンニング告白 ツイッターで東浩紀教授が「摘発」
↑の記事のタイトルでは「摘発」と書かれていますが、記事を読めば分かるとおり、自己紹介欄に所属と実名が入った状態のツィッタで、カンニングの事実をつぶやいてしまったお間抜けな学生さんがいたって話です。その講義を受け持った人が見つけた人とたまたま同一だったってだけ。


ツィッタなんてものは基本的に全世界に公開されているサービスなので「××先生の講義、カンニングしたけど不可っちゃった」なんてつぶやくなど、自分に徹底的に制裁を課してくれといわんばかりの被虐趣味以外の何物でもないと思うのですが、こういうことやっちゃう人は後を絶ちませんね。今回の件に限らず、ブログで犯罪告白して炎上とか、ちょっと前に結構はやった気がします。


大体それら犯罪告白→炎上の流れでも、犯罪を告白した側を擁護する人というのは結構いて「カンニングくらいで大騒ぎするな」というような意見を言う人が出てくるのは珍しくなかったりします。
ところが今回、それら擁護する発言の中に混じって面白い意見をする人がいて結構楽しかったりします。


何が面白いかっていうと、この東浩紀氏はツィッタ上で比較的多くの人からフォローされていたため*1か、「多くの人間がフォローしている教授が学生を晒し上げるなんてやりすぎです」というような意見が出ているらしいこと。
「お前は影響力が大きいんだから行動を弁えろ」的な意見とでも言えばよいでしょうか。
今回のように不正告白→炎上の流れで有名人が絡むと、このように有名人がその影響力を根拠に自制を求められるっていうのは、ある種おかしな現象だなと思ったりするわけです。
なにしろ、ツィッタ上では特に、有名無名に関係なくお互いが非常に近い距離にいるので、無名なユーザが有名なユーザのつぶやきをどう料理しようが周囲から特に何も言われないのに対して、有名なユーザが無名なユーザのつぶやきを取り扱うのには、なにか別の注意が必要っていうのは、不公平というか、面倒くさいんじゃないかなって思うのです。


ツィッタに限りませんが、このように、無名な人間は何をどのようにつぶやこうが勝手だけれど、有名な人間には制限が課せられる、というならば、無名な人間の方が自由度が高いわけで、これを無名の一市民最強説って勝手に名づけているのですが、どうでしょうか。


有名、無名に限らず、相手には一定の敬意を払い、それなりに丁寧な対応をするといった、一般的なネチケットは守るべきでしょう。余り感情的な振る舞いをすれば周囲のひんしゅくを買うのは勿論当然なのです。ですが、それとは別に、その人の影響力や知名度なるものを尺度に言動に制限を加えるのは、果たして妥当なのでしょうか*2

*1:つまり、比較的多くの人に自分つぶやきを読まれている

*2:物腰の柔らかい人、人当たりの良い人のほうが人気は長持ちする、というならばありだと思うけど、そういうのは礼儀の部類に入る。そもそもどういう立場であれ紳士的に振舞うのは大切。