説得力のある原発の運転再開、みたいな何か

いまいち出来の悪いプレゼンを見ているようでフラストレーションがたまります。何がって、大飯原発の運転再開問題がです。福島第一原発の事故があった手前、厳しい安全基準を満足したり住民の合意を取り付けたりせずには運転再開させられないけど、ちゃっちゃと運転再開しないと夏場に電力が足りないから動かさないといけない、みたいな優先順位の曖昧な話ばかりが目につくのですが、お国は何が一番大切と考えているんでしょうね。最近は供給が足りないと言ってますが、ついこないだまで安全基準がどうたら地元の合意がどうたら言ってたので、供給のためにそれらをすっ飛ばしたんでないのみたいな。
というか、優先順位で意見が割れるようなところをエイヤで決め打ちするのが政府の役割だと思ってたんですが、そうでもないんでしょうか。


電力不足が心配ならば、他の発電所の修繕の計画や電力需要の見積もりなんかを前面に出して「原発の安全性より経済の方が重要だ。へぼ将棋打たせる気か」くらいの啖呵を切ったっていいと思うのですが、どうも定性的に「足りないっぽいから動かしたほうがいいっぽい」くらいの話しか流れてきません。原発が止まったために、火力発電所などは検査や修繕を後回しにして運転を続けているわけですから、原発を早く電力系統につなげて火発の修繕を済ませた方が、夏場の電力需要に安心して臨めるはずです。電力不足を第一に考えた場合のプレゼンはこんな感じになるでしょうか。

1. 今夏の電力需要の予想を立てる。需要予想は例年通り節電しない場合、1〜3割節電した場合*1の何通りかを考える。
2. 6月〜8月の各月までに、原発を運転再開した場合、および再開しなかった場合の供給計画*2を立てる。
3. 1と2から、いつまでに何基の原発を系統につなげなければ、どれだけ節電しなければいけないのかがわかる。あるいは供給計画が立てられず破綻するのかもわかる。

日本全国の原発が止まってるわけですから、関西電力に限らず日本全国の細かな需給計画を立てる必要があるはずです*3。供給を第一に考えるなら、追加の安全対策などは運転させながらやったっていいし、安全性の評価や住民の合意も同時進行というかむしろ後回しでいいはずです。夏が過ぎたら運転を止めるとか交渉の材料を増やすことだってできます。


一方、安全性や原発周辺の住民の合意を優先するのであれば、運転再開に向けたプレゼンの仕方も変わってきます。
追加対策が終わるまでは運転するべきではありません。福島第一の事故では、半径30キロを超える範囲の住民を避難させる必要があったわけですから、少なくともそのくらいの地域との合意が必要なはずです。例えば大飯原発から半径30キロと言ったら京都や滋賀も含まれます。ひとたび重大事故が起きればその範囲の人々を避難させる必要があるわけで、じゃあその範囲の市町村では運転再開に合意を取り付ける必要があるのではないかとか、最低限でも避難計画を策定する必要があるのではないかとか、そういう話がもっと出てくるべきでしょう。
御前崎原発に至っては半径30キロ圏内に東海道本線東名高速も走っているのですから、そのあたりどうするのって議論が必要になるのではないでしょうか。
こちらを前面に押し出すのであれば電力供給の破綻など知ったこっちゃないと言っても筋は通るわけです。こういった方針は今以上に高いハードルですが、ハードルが高ければ高いほど安全性の説得力を増すことになるのではないでしょうか。再稼働するにしても「安全評価に不備が見つかれば直ちに運転を止める」くらいの約束ができるようになるわけで、やっぱり交渉の材料を増やせます。


偉そうなことを散々書いてきましたが、比率は個々に違えど「原発事故も怖いが、電力不足で停電も困る」という考えは、電力に依存して生きている人々の共通した認識なのだとは思います。ですが、どちらかを優先しなければ、曖昧な安全性の元、釈然としない形での運転再開が進み、結果的に原子力という分野全体へのいかがわしさばかりが残るような気がしてなりません。私個人は原子力とあまり縁がなく、何があろうと優先的に電力が供給されるであろう地域で生活しているのですが、アカデミックの道を志す者としては社会的に白眼視される研究分野が生まれるのは嫌です。後出しで基準が増えるよりは、先にある程度方針が決まったいた方がいいんじゃないですかね。

*1:去年3割節電した経験から言うと、3割以上節電するくらいなら停電した方がマシと思える労働環境になるので、3割より節電する予想は意味がない。

*2:検査待ちの発電所の中でも、検査を始められる時期によって優先順位が変化すると予想。

*3:実は私のサーベイ不足で、全部どっかに公開されてたりしてな。