吉田昌郎氏の死に寄せて

食道がんそれ自体は2011年の冬には発見されており、したがって震災や原発事故と彼の死因の間に直接の関係はないので、寄せてと言うよりかこつけて、という話になります。無論、事故対応に原発の所長として指揮に当たった負担が彼の寿命を縮めたという話は大いにあると思います。
彼と関連企業を含めたその部下の方々は、東日本大震災に際して、福島第一原子力発電所の事故処理に対応しました。避難指示が出ている地域が現在の範囲に収まっているのは、ひとえにあのテレビ越しに見るのも怖い水素爆発を間近に体験しても持ち場を守った彼あってのことです。彼らの活躍には感謝しかありません。
生き残った私たちは、なぜ彼らが命を懸ける羽目に陥ったのかを考える必要があります。大仰な言い方になりますが、危険が伴う作業を無くし減らしていくことが人類の歩んできた道だからです。そして再び彼らのような人々を要求することが無いようにして行かねばなりません。平たく言うと、私も工学系の大学院に通っているので、ふと彼の歩んだ道を私が通るのは嫌だなあと思った次第です*1

*1:吉田氏は東工大院卒