どこを探してもないと思ったら

ファウスト、って言う文芸誌をご存知でしょうか?
ファウスト vol.5 (講談社 Mook)
講談社が出す新書サイズのお化けみたいに分厚い季刊誌。
確かもう発売されているはずと思って書店をうろついていたのですが、
ない。ない。ない。
原因は編集者(一人しかいないらしい)が、凡ミスを犯したためだとか。
大丈夫か?
一応創刊号以来の読者として、不安でなりません。
創刊号以来といってもまだ五冊目ですが。
その創刊号が、ネットオークションで高額取引されているらしい。
困ったことに、古紙回収に出しちゃったんだけど。
理由は、こういうわけです。
文芸誌というからには、さまざまな視点、論点、観念から小説を書いてほしいわけです。
ところがこの文芸誌は、特に創刊号は、一面的な切り口でアジテーション的な印象が強く、
この方向で紙面づくりが固定されてしまうと、長続きしなさそうと感じたのです。
今思えばもったいない決断をしました。
いまでもこの雑誌は一面的で独りよがり、独善的で自己満足な連載とかがあって成長が楽しみな状況が続いています。
ひどいものになると、落ちがない。あるいは、全体的に凡庸。
文学なのだから、倫理的に破綻していようとも、文章として読みにくかろうとも、
面白ければ、考えさせられれば良いわけです。
でも、読み終わっても何の印象も残らない。
「次号に続く」といわれても、あまり楽しみじゃない。
どんな結末がこの先に待っていても、多分、それは面白くない。
その結末を引き出すには、これまでの連載分が長すぎる。
そんな小説など、読みたくはないでしょう?
舞城王太郎とか、西尾維新とか、ちゃんとしたものもあります。
でも、ちゃんと面白いものと面白くないものの淘汰をきちんとしないと、
成長不良を起こすのではないかと、私なんかは危惧しているわけです。
編集者の方は「熱い」と熱意を評価なさっていますが。