私たちは連続した時間の中に生きる、とされています。
時の流れというものがあるとされているわけです。
私たち自身の変化も連続的です。
昨日までの自分と今日からの自分が全く違うということはありません。
しかし、昨日の自分と今日の自分に連なりを感じられていても、五年前、十年前の自分と比べたらどうでしょう。
どこでどう変わったのか分からないほど、当時の自分と現在の自分は不連続なはずです。
過去における行動の規範が、現在のそれと大きくずれているとき、私は記憶の中の自分の行動にさいなまれます。
行動の規範を記憶することが出来ないために、当時のその行動が、当時の規範に照らして正しかったのか分からないからです。
今の規範から大きく外れ、過去の規範を検証できない。
このわずらわしささえ、やがては消え去るのでしょうか。