光の生まれる夜

えー、私はもろもろの事情で小さいころからキリスト教と近い仲で生きている人間(別に洗礼は受けてないけど)だったりします。
なのでこういうことを書くと非常に後ろめたいのですが。
きわめて砕けた、かつ罰当たり極まりない言い方をすれば、今夜は人の一生を左右する生活哲学における優れたデバッガが2000年前に誕生した記念日であります。
聖書を読めばわかりますが、聖書というのは数々の奇跡を時系列的に書きとめた歴史書であると同時に、人が歩むべき道を指し示した難解な哲学書でもあるわけです。
残念ながら、マルウェアのようなカミサマモドキを作っている人たちもいて、悪質なものだと詐欺で訴えられたりしている日本は、おそらくカミサマ欠乏症に罹っているのでしょう。ちなみに、カミサマモドキを見分ける方法は簡単です。すなわち、カミサマモドキは不幸の原因を他者に求め、解決法をカミサマモドキ自身に求めているのです*1。一方で、聖書の中では「自らの過ちに気づいて過ちを正す人」を人間のモデルに描いており、原因を自身に求め、解決もまた自身次第なのです*2。すなわち、キリスト教におけるカミサマはデバッガなのだ、と私は考えています。全世界の信者の皆さん、罰当たりの発言をごめんなさい。
来年も互いに赦しあい、互いに愛し合い、心穏やかに生きてゆける一年になりますように。

*1:免罪符の例を引くまでもなく、このことはキリスト教の歴史とも無縁ではありませんね。

*2:改心しない人や何度も間違いを犯す人を根気良く世話したりしている