どうせ明日は忙しいので

先ほどスキーから帰ってきました。
明日から大掃除、兼課題の続き、兼年賀状書き(遅いよ!)、兼衣替え(遅いにもほどがあるよ!)をやろうと思います。
ということは今年を振り返れるのは今日限りです。
31日にがんばってブログを書いても、多分読む人は年明けに読むでしょうから、去年へ思いをはせることになっちゃいますし。除夜の鐘でも聞きながらこれを読まれていることを想像しつつ、今年を振り返ってみようと思います。



一月:
成人式というものにあずかってきました。
四月生まれなのでもうそろそろ21なんだがなぁと思いつつも、友人の厚意で最前列でイリュージョンを見せてもらったり。


二月:
学科の人やサークルの人とわいわいやっていた気がする。
そういえば、初キャスト(といっても出番は一瞬)が決まったのもこのころだったかな。


三月:
サークルのスキー旅行にいって暴走し、返す刀で総監督になった月でした。
ついでにWebの更新とかよくわからない仕事もいろいろやってましたねぇ。


四月:
新入生誘拐勧誘にいそしんでいた気が。
初めて選挙権を行使したのもこのころかな?


五月:
そういや、はしかで大学は上へ下への大騒ぎでした。結局、六月まで尾を引きましたねぇ。
ヤマドリ公の演技がヨッパライだったのもこのころです。最後まで気持ち悪いという噂でしたが。


六月:
個人的には親に白髪を発見されたのが一番の出来事。
元々つむじがでかい上に白髪じゃぁ格好が付かないよ!


七月:
期末試験と公演が団体さんでやってきましたよ。
そして蝶々夫人から愛の妙薬へバトンタッチ。


八月:
このころの記憶があまりないけど、なんかいろいろやっていたみたい。
そういえば、福島へダムと水力発電所を見に行きました。


九月:
国政選挙で選挙権を行使。あんまり感慨はなかったけど、これからも行使し続けようとは思えたのでよしとしよう。
パヴァロッティが死んじゃった……


十月:
こんなのを書いていたあたり、多分一番疲れていたころ。

人知れぬ涙が彼女の目に浮かんだ。
まるで陽気な娘たちをうらやむように。
僕はこれ以上何を求めているのだろう?
僕を愛している。それは解ったのに。


一瞬だけど、彼女の美しい心の拍動を感じた。
彼女の吐息が、僕のため息と少しだけ絡み合ってくれた。
神様、僕はもう死んでもいい。
もう何も望みません。

これ以降の私が概ね元気だったのは、腹をくくっていたからに違いない(ぇ


十一月:
初めて客の前で指揮してみる。心残りは膝を痛めていて姿勢が非常に悪かったことか。親が撮った写真は非常にかっこ悪かったなぁ。
二代目PCさんはぶっ壊れていました。


十二月:
本公演。皆様お疲れ様でした!
で、わたしはスキーに行って筋肉痛のまま年の瀬を迎えます。



個人的にはこんな感じでしたが、世間様はどうだったんでしょうか。
私は大学とサークル以外にほとんどなかったので、ほとんど記憶がありませんが、記憶の残る限りはこんな感じだったはずです。


まず、事件事故については、子供を炎天下に放置はもはや風物詩*1、ミステリ作家が頭を抱えるほど猟奇的な殺人が山ほどたくさん起こりました。
食品の産地はおろか賞味期限や商品の中身そのものすらも嘘で塗り固められていたことがありました。日本は世界一品質にうるさい客をそろえ、世界一自分に厳しい企業を抱えていながら、オトナの世界は所詮そういうものであるということをまじまじと教えてくれました。
著作権法がうるさく言われる年でもありました。しかし、この手の問題はもっと前から予兆は見えていたのに、抜本的な対策を怠っていた結果の大騒ぎかと思えば、なんだかバカらしくなります。
政界では歴史の転換点が見えてきた年でもありました。来年はどうなるのでしょう。私個人としては、きちんと対流が起きなければ健全な民主主義を維持できない(というか、実質的な対流が失われて久しい日本では、既に健全性は失われている)と思うのですがどうでしょう。
年末にかけてサブプライムだとか、原油高だとか、経済にかげりが見られる年でもありました。しかし「担保の怪しい借金の山」と「金をばら撒いた結果のインフレ」って、人類は歴史から学ばないんでしょうかねぇ。名前を変えただけで原理は同じでしょうに。



来年はいい年でありますように。

*1:縁起でもない!