列車に揺られて

行きは山形新幹線のたび3時間だったので、研究室で読み終えられなかった存在の耐えられない軽さ(ミラン・クンデラ)を読んでいました。
ちなみに、存在の耐えられない軽さはナゼか某歌劇団の一部の人たちの間でナゼか密かに流行しております。私は流行にちゃっかり一歩乗り遅れている人間を標榜しているので、例に漏れず今更ながら読んでいたりするのです。
この小説、人の動きだけなら三文小説みたいなもんで、浮気かよ!愛人かよ!メンヘラ一歩手前だよ!みたいな感じです(非常に荒っぽい表現)。
しかし、これが世界に冠たる名作と呼ばれる理由は、非常に多く書き込まれた「解説」にあると思います。登場人物たちの一見不可解だったり安っぽく感じられたりする行動*1に、人間の普遍的な感情や思考、はたまた当時の世界情勢や歴史との類似性を緻密に見せることによって、読者を説得し、ひきつけて止まないのではないか、と私は考えます。
この説得の過程が、人によってはこの本が哲学書思想書のようにに感じられるかもしれませんし、実際にそういった成分が非常に多いのですが、エンディングは本書の題はれっきとした恋愛小説であることを主張しているように思いました。

*1:他の読者は知りませんが、私個人はこの小説に出てくる人物たちと同じような行動を、私自身が思いついたにせよ実行に移す可能性があるような気がしませんでした。