自分の体は自分のもの

臓器移植法が改正されました。
残念ながら私は「脳死っぽかったら使えそうな臓器は一切合財使い回してください」と家のどこかに落ちてるドナーカードに書いた人なので、今回の法改正の影響は受けません。とはいえ、私と同じ考えの人ばかりとは思いません。ネットを漁れば、脳死と判定されても意識が戻るかもしれないというもっともな生存本能から、今回の改正で意識が戻らない自分の代わりに家族が勝手に臓器移植に同意してしまうかもしれないという悲しい人間不審まで聞かれます。
この問題の大元は、おそらく大きく分けて二つあります。
一つは、技術の進歩によって個体としての死と細胞としての死の境目が難しくなってきたこと。意識の不在が個体としての死を意味しなくなってゆき、直感的な生死と実際の生死が徐々に違うものになってくれば、議論が起こらぬほうがおかしいと言うものです。そのうちクローン技術によって毛根からもう一人の自分を作れるようになるでしょうしね。
もう一つは、誰もが自分の死について日ごろあまり考えていないこと。今回、法改正になった原因の一つに、ドナーの不足が挙げられるそうです。まぁ、私も自分が死んだら〜なんて日ごろから考えませんし、考えていたとして臓器提供の意思をいつでも明確にできるようにしようなんて聖人君子はそんなにいません。私だって、カードは家のどこかにやってしまって常時携帯しているわけじゃありません。
多分そんなわけで、みんな自分が死ぬことについて普段考えないし、いざ考える段になると意外と難しい、ということでしょう。
まーでも、今回の法改正で面倒が一つ消えました。臓器提供がいやなら、紙にイヤだと書いて財布に入れておけばよいのです。
自分が死んだかどうかは自分以外にしか判定できないから、お医者に任せるしかないですしね。


今日は来週の研究会の発表の予行練習でした。スライドの枚数は時間的にはぴったりといった感じ。もう少し細かい説明を加えてもよさそうです。研究会の場所はつくばなので日帰り出張×2になる予定です。TXの交直セクション*1を初体験してきます。

*1:東京都内の普通の電車は直流1500ボルトで動いているのだけれど、つくばには地磁気観測所があるので影響が出ないよう交流になっている。その境目で一瞬停電する。並行して走る常磐線にもあって、そちらは体験済み。