考えすぎてみる

どこぞの宮崎県知事に某自民党のお偉いさんが衆議院の出馬を要請したところ「出馬する代わりに自分を総裁にしろ」と言ったそうです。
あまり報道を見ていないので不確かな推測を含みますが、多分世間一般は「体よく断った」という印象でしょう。
条件を突きつけられた自民党の側からは「足元を見られている」「なめられている」あるいは「総理総裁の椅子が軽く見られている」というような感想が出てくるのではないでしょうか。


で、それとは別の見方をしてみよう、ということが今日の日記の趣旨です。実際、彼が出馬する選挙区が私の居住地でない限り私が彼を議員にするかで悩むことは無いので、結構好き放題にかいてます。くどいようですが放言なので真面目に考えないでください。


まず「総理総裁の椅子が軽く見られている」という可能性ですが、これは実際にありうる話です。
国政選挙に出馬するという行為をビジネスとしてみれば、知事から見れば議席+αの利益が欲しい。なにしろ、知事としての地位は当分は安泰なのです。自民党側もまた確実に取れる一議席+α(選挙協力とか)を望んでいるわけですから、知事側も+αを要求して当然ですし、価格交渉と思えば最初は高い値をつけないほうがおかしいです。
野党に転落するリスクのある政党であることを考えれば、総裁の地位も安く見えたっておかしくありません。


しかし、果たしてこのようなビジネスの話だけなのでしょうか。
実は今回の知事の行為は、自民党(というか日本の政党)が今必要とされている重要な事実について示唆しているのではないでしょうか。
なぜ、小泉純一郎が長期政権を担え、それ以降の政権がいずれも短命に終わっているのか。
おそらく多くの人は、この質問に(手段はどうあれ)国民からの高支持率を取り付けたから、と答えるでしょう。おそらくそれは不十分な正解なのだと私は考えます。おそらく決め手は、味方に付け入る隙を与えなかったこと。
身内からの不協和音が外部に盛大に漏れることは、看板を背負っている立場の人が最も嫌がることの一つだと思います。
不平不満が存在することは避けられません。また、そのような不満が存在することが表ざたになるのも仕方がありません。不平が存在せず、あるいは存在が許されないのは、独裁国家のような危ない世界です。しかし、表に出してはいけないものもあります。
例えば出処進退。
小泉前後の首相が辞める前に、自民党内部からも進退を問う声が出ていた記憶があります。理由はともあれ、身内すら見放しかけているという状態を外部からうかがえたのです。確か。それでもなお先に進めるのは、よほど強靭な精神と自信を持った者でしょうし、それほどの人物ならばそもそも進退問題には発展しません。
つまるところ、身内が(せめて対外的に)固まっている、というのは、総理総裁にとっては心強い拠り所なのです。
では、その状態をどのようにして作るか、という問に対する一つの答えが、小泉がやったような国民の支持を取り付けて自分の敵は国民の敵という状態を作ることだったのだと、私は考えています。
もちろん、それだけが正解ではありません。例えば、金権政治のように自分の味方につけば豊かになれるというアピールであっても、かまわないのです。談合を指弾されようが、クリーンな代わりに味方がついてこないよりもはるかに有利です*1
そして、仮説。
今回の宮崎県知事の条件も、先ほどの問に対する解答の一つなのではないでしょうか。
すなわち、三顧の礼を持って迎え入れた党首であれば、おいそれと投げ出すわけにはいかない。自分たちが選んだのだという心理的な圧迫によって、まず党内をまとめる。「何でこんな奴を総裁にするんだ」と言われても「お前たちが選んだんだろう」と言える立場に立ってしまえば、多少の無理は利きますし、知事の全国的な知名度を考えれば長期的な政策も考えられ、それが十分な成果を挙げさえすれば安泰となるわけです。
知事の頭の中身など私の知るよしもありませんが、まず党内が浮き足立っている(ように見える)状態を落ち着かせること、対外的には結束をアピールし、その不満は別の方法で内々に処理すること、いざ自分が国政に出るならそういうことをやるべきだ、と知事が考えていたら面白いなと思います。


さて、国会の解散(あるいは任期満了による)総選挙は、いつなんでしょう。私が亡命している間ならば、初めての海外投票になるのかな?

*1:私個人としては、透明性の確保あるいは情報の開示、というのは無用な競争や軋轢を生んで疲弊するばかりだと思っています。水清ければ何とやら、ってやつ。