ノリは国内旅行

IAESTEの企画でベオグラードへ繰り出してきました。
夜11時にバニャ・ルカバス停発の夜行です。鉄道は1時間に1本も来ない割には20分遅れとかざらなくせに、長距離バスは頻発運転でしかも時間が正確です。近隣の町もマイクロバスが出ており、きちんと接続を取っており、空席かと思っていたら出発間際に隣にバスが横付けされて、お客と荷物を乗せ換えていました。
11時きっかりにバスターミナルを出て、幹線道路を一路東に向かいます。ただし、国境を越える幹線であっても、片側1車線で街灯なしの森の道です。やたらとガソリンスタンドが建ってなければ、これが本当に国境に向かう道なのかわかりません。道路自体も通り道の町をいちいち経由しているので、北に向かったり南に向かったり、同じところをぐるぐる回ってるかのように延々と似たような景色が続きます。
森→町→森→町→・・・と何度目かの町を抜けたところで国境が現れました。バニャ・ルカを出てちょうど3時間。
ハンコをペッタンして再びバスは走ります。国境を越えたからといって道路事情が良くなるわけでもありませんが、大型バスのサスペンションのおかげで、振動に悩まされたりとかはしませんでした。
午前6時にベオグラード着。途中の税関を除けばほとんど国内旅行です。
現地のIAESTEの研修生たちが住むユースホステルに荷物を置いて市内観光に行きます。


ベオグラードは、サヴァ川とドナウ川の合流点に位置する丘陵の町で、町を移動するために坂を登ったり降りたりせねばなりません。バスや市電、トロリーバスが走っているのですが、右も左もわからないおのぼりさんが使うのは難しいです。バスの切符は近くの売店で買わないといけなかったり、いろいろと勝手が違います。
まずは市の中心部、劇場と博物館のある広場から中心街を抜けて、ベオグラード城跡を見に行きます。古代から交通の結節点であったために、この土地の支配権をめぐって中世以来、様々な勢力が入り乱れ、戦いの度にベオグラードは破壊と再生を繰り返してきたそうです。特にオスマントルコオーストリア・ハンガリー帝国との戦いでは、徹底的に市街を破壊して住民を自国領に連行し、自国民を入植させる行為を繰り返したために、めまぐるしく住民が変化してきました。サヴァ川とドナウ川の左岸はかつてのハンガリー領であったため、城は両河川の右岸から対岸を睨むように建てられています。

崖際の城壁が崩れて、中から昔の城壁が顔をのぞかせていたり、歴史を感じさせる場所でした。
ベオグラード大学生協のようなところで昼食をとり、近くの公園にある正教の教会を見てきました。参道には99年の空爆で犠牲となった子供の慰霊碑が建てられていました。
その後、国会議事堂前からバスツアーに出発。空爆の跡が生々しい中心街、東方正教会系で最大級の規模を誇る聖サヴァ教会などを車上から見学。ベオグラードは丘の町というだけあって、川の対岸からの眺めは絵になります。


そして夜はお楽しみ、ベオグラードビール祭り。
河岸の公園で開かれるビールの祭りは、周辺国のメジャーなビール販売会社が一堂に会して店を開き、セルビアのトップアーティストがコンサートをして客がもりあがる、というお祭りです。始まりは夜の8時で、終わりは朝の4時。出発前に配られたスケジュールには、翌朝の予定が何も書かれていなかったので不思議だったのですが、なるほど、これじゃぁ予定が入りませんね。
入場無料で値段もビールは割安なので、人出は結構なもの。バス停から会場までの道には便乗の屋台が軒を連ね、入り口では「事故はいつでも起こる可能性があります!事前にちゃんと着用してください!」と言いながら何やら配っているお姉さんがおり、奥には移動式の遊園地が開かれ、一大イベントの様相です。この手のお祭りにありがちな「あーところでそこの君たち、一見十代前半のようだけどそれは誰に買ってもらったのかい?若いみそらでそんなに飲んだらぱーちくりんになるよ」な少年とかもちらほら。うーむ、どこの国に行ってもこういうガキはおるのね*1。よい子はまねしてはいけません。
私もセルビアの「BG」などをいただきました。こっちの普通のビール。あとアトラスと書かれたビール(中米に同盟の銘柄がありますが、缶のラベルはセルビア語でした)もチャレンジしましたが、何か腐ったパンみたいな香り*2だったので途中でギブ。ドイツからの研修生いわく、こっちのビールは味がしない、水みたいだとのことです。「これがビールだ」と渡されたコップのビールは、確かに味が濃いです。飲み終えると鉄のようなにおいがいつまでものどに残ります。一方でこっちのビールは風味こそ違うものの、概して水のようにいくらでもさらさらと飲めてしまう感じ。私はうす味が好きなのでこれはこれで好きですが、飲み慣れた人には物足りない味かもしれませんね。興味深かったのは、私が周辺地域のビールを飲んでいたのに対し、こっちの学生たちはハイネケンとかの方が珍しいようで、そちらを注文しに走っていました。
そんな感じで、ビール縛りもものともせず数千人の酔っぱらいが明け方まで会場にあふれていました。

*1:祭りの終盤では見かけなくなったってことは、きちんと彼らは門限を守ったか親にばれたか外の森でひっくり返ったかしょっ引かれたかしたのでしょうか。

*2:まぁ、どちらも酵母による発酵ですけど。何か違う菌がコンタミしたのでしょうか?