お宿事情

結局、前の晩のビール祭りからユースホステルに戻ったのは、結局明け方の四時過ぎでした。
このユースホステル、作りもきれいで照明もきちんとついており、バニャ・ルカの我が家よりも快適なんじゃないかと期待していましたが、見事に裏切られました。
まず、4人の共同部屋なので、整頓できないやつがいると酷く部屋が汚れます。バニャ・ルカのサモーチキは一人部屋なので、その点は楽。
さらに、トイレの便座ががたがたであり力学的に考慮した座り方をしないとガタンとか音を立てて便座が滑り落ちます。まぁ、ボロイ宿へ行けばそういうことはざらなのですが、水タンクの位置が低すぎて頭に当たるとか、水タンクと便器とをつなぐパイプが便器のふたに干渉して、きちんと手か背中で押さえておかないとふたが勝手に閉まるとか、明らかに施工不良な点もあって、非常に残念。「途上国だし仕方がない」という考えもありなのですが、8月2日の晩に泊ったスラヴィヤホテルも、地方都市クラスのバニャ・ルカのホテルであってもそこまでではなかったので、その分ガッカリ。
さらにがっかりだったのが風呂の設備であり、古式ゆかしい大英帝国スタイル。まず、狭い。そして、左のバルブをひねると冷たい水が、右のバルブをひねると非常に冷たい水が流れるのです!ボイラー弱すぎ。こちらも、他の宿泊施設ではお湯がきちんと出た分、ガッカリ度はひとしお。
さらにさらに悪かったのが寝台の仕組み。私に割り当てられた部屋には、もともと4人部屋に3人が泊っていて、15日に一人がチェックアウトし、私を含めて2人がチェックインすることになっていました。ところが、このチェックアウトした人のベッドのシーツはおろか得体のしれない汚れた衣服に至るまで何らの処理もされず「あいているベッドを使え」という始末。いやいや。使えるベッド一つしかないですがな。そもそも、洗ったシーツはひと組だけだし。結局、後からチェックインしたもう一人の客は、ビール飲みながらようつべにうつつを抜かす夜番の管理人に別の部屋が与えてもらっていました。


翌朝、というか昼過ぎ、IAESTEでベオグラードに派遣されている東北大の人とばったり宿の前であったのでいろいろと話し*1ドナウ川へ観光船に乗りに行きました。美しく青きドナウは、藻がいっぱいで緑色です。ゆったりと流れ、太陽がさんさんと降り注ぐこの地は、光合成をするものにとっては天国ですね。
ドナウ川舟遊びが終わったのは3時。IAESTEの企画はここまでで、帰りのバスの時間まで各自で散策ということになりました。
私はベオグラード城址公園で、見そびれた博物館の見学をしました。場内の濠跡には、第二次大戦中の鹵獲兵器などが並べられています。日本の博物館と違って自由に触ったりよじ登ったりできて楽しいです。城館を改装した博物館には、中世以来のこの土地の戦いの歴史がつづられています。ちなみに、ISICの学生証で入場料は半額。
博物館を出て19世紀以来の町並みを歩いていたら、たまたま現地学生とボスニアの学生のグループに遭遇。これから聖サヴァ教会に行くというので、便乗することに。実は、私も行こうかと思っていたのですが、集合時間を考えるとちょっとギリギリかなと半ばあきらめ気味だったので、幸運でした。なにせ、私ひとりだと道を聞くこともできませんが、現地人と一緒なら心強い。しかも、ボスニアの学生も一緒ならば、集合に遅れるということはありません。というわけで、バルカン半島有数の大聖堂を見に行ってきました。

内部は修復工事中でしたが、外装だけでも十分かっこいいです。
この聖堂は、オスマン帝国によって聖サヴァの遺骸を焼き捨てられた跡地に建てられたのだとか。今でも参拝者が絶えません。


*1:なんでもベオグラードにはアジアからの学生が彼しか来ていないのだそうで、彼が本当に日本人かということすら信じてもらえないのだとか。ついでに彼はPCの類を持ってきていないので、ここ1カ月日本語に触れていないそうだ。大変だ。