サラエボ旅行記(2)

さて、前日の日記には書きませんでしたが、我らがユースホステルは、18人の相部屋のくせに鍵を2つしかくれないので、一晩じゅうやってるクラブ殻の帰りは、まず最初に帰った人がカギを持って帰り、その人が寝る前に誰かが帰ることを願いつつ帰りたくなってから順に帰って行き、2つ目のカギは誰が持ってるのか分からないというよくわからない事態でした。
最後の人がベッドに入ったのが朝の6時くらい。当然、スケジュールに書いてある「8時に朝食」ができたのは4人だけでした。うち2人はバニャ・ルカからの引率の学生とその恋人さんなので、研修生としては2人。
10時前にチェックアウトできたのはよいのですが、サラエボの引率の人もクラブではしゃぎすぎて寝坊したために、観光開始は11時。・・・タイムロスを気にしてはいけないですよね。
さて、気を取り直してサラエボビールの工場見学に行きます。といっても中を見るのではなく直営のビール店で、門外不出の「dark filtered beer」と書かれた黒ビールを賞味します。前の晩飲んでたのに真昼間からまた飲むのかよ!と突っ込みを入れつつ口に入れたところ、味がしっかりしていて普通のビールよりもはるかにおいしかったです。っていうか、これと比較すると旧ユーゴのビールって軒並み水みたい。
ドイツから来た研修生が「これがビールの味よ」というのもむべなるかな。
そして昼食に直行。もう2時ですしね。
言ったのはメキシコ料理屋で、20人近くが一度に注文したせいか全部の料理ができるまでに1時間くらいかかりました。その後コーヒーブレイクをして各自自由行動。
郊外に昔の砦跡があったので時間があれば行きたかったのですが・・・
またの機会にすることにしましょう。
うーん。おもしろかったのだけど、個人的にはもうちょっといろいろ見て回りたかったなぁ。特に内戦関係の博物館とかには行きたかったのですが、やっぱりこちらの学生にとっては面白くないものなのでしょうか。確かに、内戦は時期を考えれば幼少期の思い出ですから、あまり掘り起こしたくないのかもしれません。今度聞いてみよう。


バニャ・ルカへの帰りも鉄道です。バスよりも乗り心地が良いし、いけるものならどこへでも鉄道で行きたいのですが、ここで何度も書いている通り、この国の鉄道は旅客向けには作られていません。
まず、路線網ですが、Y字型というか消防署の地図記号みたいになっていて、上の2つはクロアチアとつながっています。下の端はサラエボを経由してモスタル近辺まで伸びてそこで行き止まり。我らがバニャ・ルカは左上に伸びている枝の真ん中にあります。他にも1,2本の支線がありますが、幹線としてはそれだけ。クロアチアへの直行便はおろか、バニャ・ルカとサラエボですら一日一便しか運行されておりません。ダイヤは20分遅れとかはざらですが、その理由は基本的に全線単線で、交換設備がほとんどないことと、めったにない交換設備がいまだに人力で、番小屋のオジサンが「よっこらせ」とポイントを切り替えて「いいよー」と手を振って発信するという西部劇さながらの世界を年中やっていりゃぁ、1時間に1本しか走らせられませんよね。定時性さえ確保できれば接客設備とかはましなので、長距離移動には絶対に鉄道の方が有利なのですけどねぇ。
設備面でもそんな感じですから、制度面もややこしいもんです。くどいようですが、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦は、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国という二つの国から成り立っていて、それぞれが「国営鉄道」を持っています。ちょうどY字の分岐点にあるドボイ駅がその境界線で、それより下はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦鉄道、上はスルプスカ共和国鉄道が機材の一切を所有しています。そして、境界線を超える列車は、たかだか3両しかない客車を牽く機関車をわざわざ付け替えないといけないのです。わざわざ20分くらいかけて白地に赤帯ボスニア国鉄と橙地に青帯のスルプスカ国鉄の同じ形式の機関車をつなげ変えます。
さらに、乗務員も総入れ替えなので、夜中の1時とか3時とかであっても乗客を全員たたき起こして検札します。乗客名簿を渡すとか客室ごとの客の人数を控えて違うところだけ調べるとか、なんか工夫しろよと思いますが、お互いに独立性が強すぎてそういうわけにはいかないようです。
両者を統合するという話も出ているようですが、まだまだ先の話ですね。