サラエボ旅行記(1)

サラエボへ夜行で行ってきました。
それにしても、この国の鉄道ダイヤは24時間運行のくせに上り下り合わせても1時間に1本も列車が来ません。我らがバニャ・ルカはおろか国の首都であるサラエボですらそんな調子です。列車の編成も長大というわけではなく、2等客車が2両に1等がつくかどうかといったところ。機関車を合わせても4両といったものがほとんどです。これ、旅客だけだと確実に赤字だよなぁ・・・


で、列車に揺られること5時間と少し、朝の7時くらいにサラエボに放り出されました。
サラエボ自体は大きな町なのですが、旧市街と言われる町の東の端が観光地として有名で、サラエボ事件の現場とかオリンピックスタジアムとか、歴史的な建物は大体そこにかたまっています。ダイジェストでよければ夜行で来て夜行で帰れば0泊の強行軍も多分可能って感じです。郊外にも見所はあるので、1泊というのは日本人的には適当でしょう。ただし、旅行プランをこっちの人たちに任せると、1週間くらい逗留しないと見切れない感じです。
8時に駅に迎えとして現地の元学生さんがやってきました。ホステルのチェックインは10時なので、それまで旧市街の裏側にある喫茶店でお茶をします。銅製の一杯分のコーヒーが入った急須からチェックインなどをなんだかんだやってから11時に観光開始。
旧市街を徒歩でぐるりと回ります。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都であり、さらにその中のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦*1の首都でもあるサラエボは、かつてのオスマントルコ時代の文化を受け継ぎ、トルコ風のコーヒーや日本で売られているタイプのケバブの店が軒を連ねています。旧市街の観光地でも、銅製品のお土産が多く売られています。薬きょうを改造したペンや、水タバコの吸い口を作っているお店もあります。家々には弾痕が残っており、内戦の爪痕はまだまだ残っています。穴のあいていたり壁が焦げていたりする建物でも生活に使われていて、初めは面白がって写真を撮っていたのですが、そのうちばかばかしくなってくるくらい弾痕なんてこの町では普通です。イスラム圏ということもあり市内にはモスクが公称百件あるそうです。中には17世紀来の古いものもありますが、そこから1ブロック歩くとカトリックの教会があったり、正教会があったりして、まさしくモザイクのよう。今はラマダンなのでモスクの立ち入りには制限がかかっています。
ただし、イスラム教圏としては規制は緩く、イスラム教徒でなければ特に服装に制限はかかってませんし、イスラム教徒でもモスクに行くとき以外は特にベールをかぶってないといけないというわけでもなさそうです。かぶってる人は結構いますが。
で、市内の観光バスに乗って市街をぐるりと一周。オリンピックスタジアムなどを車窓から見てきました。
昼食を取った後、歴史的な住居を改造したカフェでコーヒーを飲み、6時過ぎには早くも宿に帰ります。うーむ。もう一軒くらい回りたいような。というか、昼食→コーヒーの流れに3時間も費やすことに意味を見いだせない私はやはり生き急いでいるのでしょうか。
夜はクラブへ。ラマダン期間中ですが、建物内では酒を飲んでもよいそうです。そういえば、この町にはサラエボビールという銘柄があるのですが、お店ではほとんど売られていません。屋外で飲むのは禁止されており、どこかの学生が逮捕されて罰金を払わされたのだとか。こわいなー。バニャ・ルカじゃ2リットル入りのビールペットボトル持ったおっちゃんとかが普通にうろうろしてるのになー。同じ国*2なのにこうも違うのでしょうか。

*1:非常に分かりづらい表現ですが、いわゆる「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」は、二つの独立性の高い国の連邦で、片方を「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」といい、もう片方を「スルプスカ共和国」と呼びます。

*2:というとスルプスカの人たちに怒られる。