線路は続くよ

ズラティボルを発ち、今日はウジツェからモクラ・ゴラへ行きます。モクラ・ゴラはボスニアとの国境に程近い地域で、保存鉄道「シャルガンスカ・オスミツァ」が運営されています。急勾配を登るために、山にループを作りトンネルを掘り、結果的に出来上がったのが数字の8の字の線路。その8から名前を取って「シャルガンの8」という鉄道の名前ができました。峠のふもとがシャルガンであり、途中がモクラ・ゴラ。現在開通しているのはそこまでで、そのまま線路を延長してボスニアのヴィシェグラードまで通そうという計画があるのですが、今のところは資金難で未開通。まあ、今の時代はトラックとバスが行き交うので、仮に全通しても主要な交通ルートとはならないでしょう。ヴィシェグラードには世界遺産となっているオスマン・トルコ時代の橋があるので、うまくすれば商売になるかもしれませんが、今のところは、山の中をごとごと走るノスタルジックな鉄道に興味があるお父さんたちの遊び場です。この地域一帯が保養地なので、観光客はたくさんいます。

写真は蒸気機関車ですが、多客期しか運行しない模様。普段はルーマニアディーゼルが20世紀前半の客車を引っ張ります。
眺めもよく、たまたま天気が良かったせいもあって風と太陽が気持ちよかったです。
さて、いくら観光地といっても、マイカーの発達した時代ですから、人口の少ないモクラ・ゴラには、長距離バスがあまり走っていません。帰りのバスは、午後2時か6時半。6時半では今日中にベオグラードにたどり着けず、月曜の業務に間に合わなくなるので、2時の便一択です。これでウジツェに行き、ベオグラード行きのバスに乗り、ベオグラードで11時半のバニャ・ルカ行きに乗れば、月曜の午前5時にバニャ・ルカに着くので9時の始業に間に合う、というのが私の旅行プランです。
ところが、この保存鉄道は、モクラ・ゴラとシャルガンを一日2〜3往復していて、私が乗ったのは午後1時半発の便です。これで1往復フルに満喫すると帰ってくるのが3時45分になってしまいます。
しょうがないので、シャルガンまで片道乗って、2時のバスが峠を越えてシャルガンに来るのを待つことにします。
さて、2時のバスというのは・・・
びゅん!
・・・
・・・・・・
い、今走って行ったやつか!
バス停にいたのに乗車拒否されたよ!

こんなところで私を独りにしないでくれ!
モクラ・ゴラは人がいますが、シャルガンは客がほとんどおりないので寂れています。時刻表もない*1バス停がぽつねんとあるだけです。
帰りのバスに乗るためにあえて片道にしたのに・・・
次のバスは午後の6時半。それだと仕事に間に合わないので、とりあえず近くの町に行って善後策を練ることにします。峠を越えてモクラ・ゴラには行きたくないので、そのまま山を下ります。地図によれば数キロ先にあるらしいです。運が良ければミニバスかタクシーがあるかもしれません。


ところが、捨てる神あらば拾う神あり。
何やらタクシーが一台、私を追い抜いて停車しました。
中には60近いおっちゃん。
「ウジツェまで行くけど、乗って行くかい?」
乗る。
途中でもう一人、おばさんを乗っけます。
おっちゃんはセルビア語しかしゃべれず、私はしゃべれないので何を言ってるのか全く分かりませんが、わずかに聞き取れた単語から推測するにどうやらこんな感じのようです。
「いや、なんかヴィシェグラードまで行けとか言うアホな旅行者がいてさぁ*2、わざわざ国境越えて行ってやった*3よ。おかげでたんまりもらえたんで、今日の仕事は仕舞いにしたよ。ほら、天井の標識も外してあるだろ?」
というわけで、親切なおっちゃんはバスよりも安い値段でアルバイトしてくれたのです。ありがたやありがたや。


幸運にも助けられ、無事に生還を果たしましたが、モクラ・ゴラに行く方はその日のうちにベオグラードに行こうなどとは考えず、近隣のどこかに宿をとっておくことをお勧めします。

*1:これはごく一般的なことで、バス停にはバス停の標識が立っているだけ。あるいは小さな小屋があるだけ。いつバスが来るかは地元の人に聞いてみよう。私は、モクラ・ゴラで切符を売ってるおばちゃんに教えてもらった。

*2:ボスニアのヴィシェグラードまでは、一日に6便くらい運行されているので、タクシーを使う必要はない。

*3:越えたかどうかはわからない。国境まで送って別のタクシーを呼んだのかもしれない。