2時になっちまった

みくしのオペラコミュだかどこかに「古めかしい演出について」とか題してくっだらない論争が広がっているのを、対岸の火事よろしく眺めている。曰く「上演当時のような古めかしい演出がいい」とか「現代的な読み替えもありじゃないか」とか、そんなところから始まって一家言もってる人たちがぎゃあぎゃあ騒いでいる。
でもはっきり言って、エンタメなんだから、客が楽しめればそれでいいと思う。少なくとも、芸術だろうが何だろうが、客を楽しませて成り立つ商売に、手法の良し悪しを問うのは愚かだ。
どんなに作り手やファンが「いい」と思っても、採算ラインに乗らなければ失敗だし、ファンが「こりゃダメだ」と言っても売れれば問題ない。エンタメや芸術だけじゃない。家電製品だってそう。最初にウォークマンが世に出たとき、確かスピーカーの無いプレーヤは売れないという予想が立っていたはず。
そういうと「質が低くても大衆受けすればいいのか」みたいな意見を持ち出す人が居るけど、大衆はバカじゃない。ウケ狙いだけなら勝手に廃れる。類似品も、勝手に淘汰されていく。
だから、みんなが楽しいと思うほうへ行けば良いのだと思う。
この手の話題に際して二手に分かれて「とことん争う」のは空しい。主張しあい、議論しあうのは良いことだけど、どちらが絶対に正しいということは無い以上、いつまでもそこに一生懸命になる意味は無い。統一した見解を持とうという発想に意味は無い。


プロはそんな感じだ。お客が喜んでくれれば、ヒヒョーカがどれだけケチをつけようが関係ない。
では、アマはどうだろうか。
趣味でやっている以上、やっている本人が楽しいのが第一義だ。あるいは「やっている本人が一番楽しめるためにはどうすればよいか」と言い換えてもいい。ところが「やっている本人が一番楽しめるためにはどうすればよいか」という問いは、人によっていくつもの答えを持ちうる。同じ趣味に対しても、だ。
実生活を差し置いてもプロ顔負けの技量を持つのが楽しみという人もいれば、実生活の負担にならない程度に遊べればよいという人もいる。
だからアマチュアの「グループにとっての成功」というのは難しい。個人プレイなら個人の好きで良いのだけれど、グループワークならば、見据える目標が違う人間が一つのグループに混在することになるわけで、全員の満足を求めようとすると、方向性、温度差などで大変面倒なすり合わせが必要になり、多分最終的には誰かが割を食う。
それを避けるために最大効率で趣味を楽しむための努力が求められる。
そうやって、私が得た解を、あるいは誰かが「お前、そんなんでいいのかよ」と言う。いや、楽しいからやってるんだし、楽しくなくなったらその時にどうすれば楽しめるようになるかを考えますよ。
「オレの趣味に付き合え」という人は大好きだ。「お前の趣味に混ぜてくれ」というのも大好きだ。でも「オレの嗜好が正しい」という人は・・・



うん。読み返しても夜中の2時に寝ぼけながら書いたようにしか読めない。