「日輪の遺産」見てきた

タイトルそのままですが、浅田次郎原作の「日輪の遺産」という映画を見てきました。以下ネタバレ。

1945年、夏。マッカーサーの財宝200兆円の運命は、20人の少女の小さな手に握られた―。
原作:浅田次郎×監督:佐々部清、そして堺雅人!超強力スタッフ・キャストが集結!
角川のウェブサイトより






ざっくりと話すと、終戦直前に秘匿された900億円、時価にして200兆の財宝の行方と、作業に携わった人々を描くお話なのです。
この物語は、作者のバランス感覚がかなり問われる難しい粗筋を持っています。というのも、勤労動員として秘匿に携わった女学生たちの悲劇性にのみ注目すると、実際に戦中に起きた悲劇を前にした途端に安っぽい話になってしまいます。かといって、財宝の行方にのみ注目すると、タダのお宝探しの話になってしまいます。財宝秘匿の命を受けた軍人たちの話として捉えると、イマイチしまりの無いハードボイルドになってしまいます。
さらに、原作では物語のちょうど真ん中で終戦を向かえ、戦後の話になります。後半部は、財宝の元の持ち主であるマッカーサーから財宝を守る話になるわけですが、如何にマッカーサーに財宝を諦めさせるかという点で、物語を描く側は苦労するのではないかと思います。人情で200兆を諦めるマッカーサーでも、亡霊を恐れるマッカーサーでもお話しは台無しになってしまうのですから、説得力のある話の展開が必要です。


というわけで、予算と尺の限られた映画という媒体で、どのような出来になるのか、怖いもの見たさで行ってきました。


で、最初にびっくりしたのは「真柴少佐、現代では出番なし」ということ。原作では、財宝秘匿の命を受けた三人の軍人のうち、真柴少佐と望月*1曹長が存命で、真柴少佐が病死するところから物語は始まるのですが、映画版では尺の都合もあってか「真柴さんって人、いたでしょ」という台詞にのみ、現代では登場します。代わりに曹長が病死します。もっとも、原作は93年に出版されたものなので、当時に比べて「戦時中に現役の軍人だった」という年齢が上がりましたから、この変更も仕方ないのかもしれません。1945年に25歳なら、1993年にはまだ73歳なのですが、2011年には91歳になってしまいます。さすがに90過ぎた老人が二人、密命を帯びたまま生きているという設定は、ちと怖い。
このような原作からの改変は、賛否が分かれるところかもしれません。しかし、原作の導入部と全く違う始まり方をすることで、映画版の世界に引き入れる、という役割を果たしていると私は考えました。
こういった冒頭部の変更に比べて、物語の前半は概ね原作どおりに進んでいきます。真柴少佐役の人の顔が始終にやけているような印象なのはこれが地の顔だからしょうがないですし、若干女学生のキャラが薄い*2のも尺の都合というものでしょう。いくつか後に効いてくるシーンや台詞が省かれたのもやむを得ません*3
8月15日までは、このようにところどころ不満を覚えつつも、概ね原作どおりに進行しました。後半部は、予算の都合か訳者の都合か知りませんが、出てくる米軍役の人数が少なく、若干寂しい展開に。ていうか、脚本の英語はもう少し洒落たものに出来んのか。マッカーサーもなんか電池切れかけの老人だし。原作だともう少し倣岸不遜で執念深いキャラだったのになー。
尺と予算の都合からか、原作の後半に対する映画の時間配分が少なく、女学生たちの悲劇が協調されすぎている印象。というか、早足で物語が展開するために落ち着きがなく、期待していた緊迫感が得られなかったのが心残りでした。真柴少佐の戦後を描かず、小泉中尉の死因を拳銃にしてしまったために、原作にあったエリートかく有るべし的なキャラクタの造形が崩れてしまった代わりに、最後をイイハナシでまとめようとしたせいか、かえってうそ臭くなったのでしょうか。とゆーか、真柴って主役のはずなのにマジで半分空気だよなぁ*4。いやまあ、その、マジメに没入して観れば涙腺直撃コースなのですが。


というわけで、原作厨としてはあまり満足行く出来栄えではありませんでした。省いてほしくないところを省かれたというか、原作に込められたメッセージのいくつかが安易に改変され過ぎているというか。そこら辺は原作厨の悲しい性、ということで。
ここまで書いておいて言うのもどうかと思いますが、原作を読まずに見れば涙腺直撃コースのいい映画ですし、原作を読んでも楽しめなくはありません。

*1:そういえば、原作には曹長の名前が出てこなかった気がする。何で名前がなくて、何で名前が付いたんだろう。

*2:黒髪ブラウスにもんぺで外見が統一されてるため、遠景だと特に個人の区別が付きにくい。

*3:曹長が大型拳銃に弾を込めて「内地でこんなものを使うようになったら、戦も終わりです」と言った6ページ後に、早くも抗戦派に向けて威嚇射撃する展開は、ぜひとも再現してほしかったのですが、省かれてしまいました。日本史上の前提知識というだけでなく、「既に戦争の決着は付いている」という演出をつけるためには大切な台詞だと思うのですが、残念。

*4:原作を読まずに映画を見ると、序盤の抗戦派との殺陣では棒立ちだったのにラストで居合いやってのけたりするので、キャラクタとして謎な部分が沢山出てくるのではなかろうか。