デスマーチは一回分のネタか

※うまくまとまるかと思ったら全くまとまらなかったけど推敲はだるいのでしません。


人には得手不得手というのがあります。それは育ちの影響もあれば持って生まれた才能かもしれません。訓練の結果、改まることもありますが、とにかく、ある瞬間ある人はなにがしかの得手不得手というものを持っています。得手は上手く使えればいいんですけどね。
不得手というのは、自覚して対応しておかないと致命的な失敗を招くので、怖いのです。「金銭的感覚に乏しい」とか「時間的感覚に乏しい」とかそれくらい大雑把なくくりで考えています。
そういうのって、個人にとってはかなり大きな障害なわけです。何しろ自分が無自覚に足を引っ張ることになるわけですから。


簡単のために、ここに仕事を能力以上に引き受けてしまう人がいたとします。漫画家のSさんとします。まあ、某漫画を描く漫画の話なのですが。
細かい状況を見てみると、この漫画家のSさんは仕事の量を認識できないのではなく、自分の持ち時間に対してギリギリまで仕事を増やしてしまうタイプの人のようなのです。仕事を自分で選べない立場にいる限りは、この手の引き受けすぎてしまうタイプの弊害というのは出ないのですが、いざ自分で仕事の量を調整できる状態に至った時に、無鉄砲に仕事の量を増やして破綻してしまうわけです。
で、問題は、このSさんが、仕事を増やしすぎて破綻してしまうのは、今回ばかりではないということ。実はだいぶ昔にも仕事を増やしすぎて破綻をきたしたことがありました。病院送りにもなったそうです。そしてSさんの版元の出版社も過去の事故を把握していたのですが、近ごろは調子も良いらしく、Sさんたっての依頼で仕事を増やすことになりました。もちろん、増やすにあたってアシスタントの補充といった支援は忘れません。このような経緯を経て「新しく仕事を増やしたのだが、忙しくなりすぎてスケジュールが崩壊しかけたけど何とか間に合った」という一回分のエピソードが、某漫画を描く漫画でやられていたのですが、果たしてこれはどうなのでしょうか。「無事にスケジュールをこなして締め切りに間に合った。よかったよかった」でよいのでしょうか。
Sさんはもちろん、アシスタントまで不眠不休で作業にあたってようやく締め切りを守り切ったというのは、手に汗握る展開と言えば格好良いのですけど、早い話がデスマーチの部類に入るわけです。そして、こういった肉体的、精神的に疲弊を強いる労働というのは、後に響きます。具体的には、気力体力が尽きているために余裕のあるスケジュールでさえ破綻しかけるといった後遺症でしょうか。能力いっぱいに仕事をすると、何かの間違いで能力が減ったり仕事が増えたりした瞬間にバランスが崩れるともいえます。
同じ事故を繰り返すということは、Sさんにはそういう癖がついているともみなせるので、遅かれ早かれ大事故を起こす懸念が常に付きまとってしまいます。別に漫画の世界の漫画家のスケジュールが破たんしたところで、現実には誰も困りはしないのですが、現実の世界でも「何とかなったから次もどうにかなるだろう」という安易な総括がはびこってて嫌だなあと私は読んでいて思った次第です。特に今回のエピソードは「前に大事故を起こしたのと同じ原因で、今回も大事故を起こしかけた」という状況が、すごくひっかかりました。同じ轍を踏ませて作者は何がしたいのでしょう。いや、同じ轍をみんなでGO!するのは実にリアルなのですが。
漫画に限らず文学でもよいのですが、こういう現実世界の引き写しというのは、作者の思想を反映した展開を往々にして迎えます。例えば、この漫画を描く漫画の場合、最初にスケジュールの破綻を起こしたエピソードでは、主人公が病院送りになっても漫画を描き続けようとする展開になり、そこから私は作者の肯定的な思想を受け取りました。漫画を描く一念をもって、それ以外の破綻を許容すると書くとかえってわかりづらいでしょうか。
ところが今回は、大事故の予兆こそ見せつつも、結局スケジュールを守り切ったために事故には至りませんでした。作者はそこに何を込めたのでしょう。事故を起こさなかったことで主人公の成長を描きたかったのでしょうか。それにしては、仕事を能力いっぱいに引き受けるという根本的な問題は治らなかったばかりか、対策を練っていた気配がありません。仕事を早くこなす練習はしていましたが、これは「能力いっぱいまで仕事を引き受ける問題」の対策になっていないことは明らかです。
事故には至らなかったとはいえ、周囲が、特に仕事量を最終的に決められる版元がきちんとSさんの症状を把握して対策する必要があります。というわけで、これを一回分のエピソードとしてしまってよいものなのでしょうかと思う次第なわけです。このエピソードの後遺症がのちのエピソードで出てくればそこから作者の思想を読み取れますが、このエピソード単体だとあまり釈然としません。


さて、私たちの周りには、いろいろ何かが不得手な人がおりますが、その人が何か大事故の予兆を見せていたりはしないでしょうか。自分に関係ない大事故ならまだしも、とばっちりを自分が食らう可能性があるときには、何とかせねばなりません。何とかできるといいですね。