交流フォーラム二日目

雲一つない涼しい朝を迎えたこの日は「震災後の工学」と題してパネルディスカッション。
出演者は
自衛隊の偉い人(統幕の陸将補)
新聞社の偉い人(科学部部長)
研究者の偉い人(原子力システムの保全とかが専門)
専門誌の偉い人(工学系の新聞の論説委員
というそうそうたる顔ぶれででした。テーマが限定されているとはいえ、産学官報道の地位のある人が一堂に会して東日本大震災を振り返るって、たぶんあまりない出来事だと思います。


まずは自衛隊の陸将補の方から、東日本大震災の時のお話の要旨。
阪神大震災をきっかけに、災害発生時に迅速な活動ができるよう、自衛隊は日頃からの自治体との訓練や活動計画の策定が行ってきました。そのため、三陸地震を想定していた岩手、宮城両県では、地震発生直後は訓練通りの活動ができたとのことです。一方、福島県では策定が間に合わなかったために多少遅れが生じていたようです。たとえ想定を超える災害であっても、事前に計画があるかないかが、大きな分かれ目となっていたと私は感じました。
さて、予想を超えた被害を受けた被災地に、自衛隊は10万人規模の部隊を送り込みました。彼らを待ち受けていたのは、通常の災害であればまず人命救助を行い、次いで道路を復旧し、生活の支援をするという「順番に求められる仕事」を同時にこなせという要請でした。連日過酷な任務をこなした彼らの活躍は、みなさんご存知の通りです。また、在日米軍もオペレーション・トモダチという災害支援の作戦を行っております。陸将補がこのとき不安だったのは、イラクやアフガンといった統治機構の壊滅している地域への派遣実績が豊富な米軍が、東北の被災地でその手法を踏襲してしまうのではないかということだったようです。幸いにして現地の治安状況が米側に伝わり、無政府状態ではないという認識を持ってもらえたことが、自衛隊を支援する米軍という形をうまく作り出せたのではないかと、陸将補氏は語っておりました。自衛隊、米軍の活躍が被害の低減につながったことは、言うまでもありません。
一方、ある意味「事後処理」であった地震津波の被害とは違い、状況が不透明であった原発事故の方が、より重たい課題であったということです。


原発事故とその報道について、新聞社の科学部部長氏のお話。
通常、全国紙の科学部には30人ほどの記者がいます。また、各地の支社にも規模に応じて記者がおります。しかし、原発事故においては記者の数が不足するという事態に陥ったそうです。政府(内閣官房原子力安全・保安院)と東電本社という、重要な情報源が、かなりの頻度で不規則な時間帯に長時間の記者会見をおこない、しかも連絡時の混乱などから一部の情報に整合性がないという状況だったためです。ここで問題なのは、まず不規則な時間帯の会見ということ。むろん、緊急時なので適時に会見を開くことは大いに結構なのですが、24時間体制で記者を配置しなければならないのです。さらに、長時間の記者会見ということもあります。新聞紙には締切があるため、記者会見の内容すべてを記事にしようとすると印刷に間に合わなくなってしまいます。この、二つの理由のために、記者会見の場には常に数名の記者(4人程度)を配置し、直近の締め切りに間に合う記事を書く人と記者会見後にまとめて記事を書く人の役割を分けねばならなかったようです。4×3で12人は都内の「記者会見の場」に拘束されるため、それ以外の取材や解説記事を書く記者の人手が足りなかったというわけです。震災直後数週間の記事が、政府をはじめとする広報を主な情報源としていた原因は、記者の事前知識の不足だけでなく、このような人員不足も一因にあるのかと私は思いました。科学部と言っても、全員が理系の出身というわけでもなく、また、原子力に関する知識を持つ人も少ないのです。
科学部としては、原発事故発生から2週間程度が経ち、原発が小康状態になったころから、原発の扱いを縮小し、津波被害などへの配分を増すよう要請していたそうですが、原発事故への関心の方が大きく、新情報の少ない中、紙面づくりに苦心していたそうです。


さて、研究者から見た原発事故はどうだったのでしょう。震災に関連する工学は多いのですが、今回は特に原子力の安全について研究している方が参加されておりました。福島第一原発の事故について、その推移や現在推定されている炉の状態については既報の通りです。余熱駆動のポンプと外部動力によるポンプの切り替えに要した数時間が運命の分かれ道だったということです。先生も某所の御用学者リスト(要は少しでも原発を擁護する発言をしたら載ってしまう魔女狩りリスト)に入っていたりと大変なようですが、適切な情報が入らなければ適切な判断ができないということを強く主張しておりました。
東電ばかりが悪いわけではありませんが、原発推進・反対の二元論が行き過ぎたために、トラブルを過少報告したり、あるいは避難訓練の忌避といった、本来なされるべきことがなされない土壌を生んでしまったのかもしれません。ちなみに、トラブルの過少報告についてはこの先生の、避難訓練の忌避については陸将補氏のご発言ですので往々にしてあったことと思われます。
これとは別に、当面の復旧に必要な学問とは別に、数年単位、10年単位といった、中長期的に必要な技術を研究する視線が必要であり、それを見据えた教育が必要とおっしゃっていました。


最後になりましたが、専門誌から見た震災について。
専門誌というのは、元々その分野に興味のある人が購読するという前提で、紙面を構成しています。一方、ウェブサイトに記事を上げるため、検索してやってくる「もとは興味のなかった人」がアクセスする環境になりました。ここで明らかになったのは、専門分野の人と一般の人との間に広がる、需要と供給のギャップです。つまり、一般の人からすれば「原子力の専門家であれば原子力発電所について一から十まで詳しく知っているだろう」という認識を持たれるわけですが、専門家は往々にして自分の研究分野から離れたことについては一般的な知識にとどまっている場合が多いのです。いざキャッチアップを始めれば一般の人よりは詳しく勉強できるのですが、スタートはあまり変わらないわけです。また、これは至極当然ですが、専門家の見通しというのは「ある条件下の結論」なので、事前の情報が間違っていれば間違った結論を下してしまうのです。世間的には専門家の見通しは条件が変わっても不変と思われるために、予想の外れがそのまま専門家への不信につながってしまっているようでした。複数の条件を仮定してそれぞれについて予想すればよいのかもしれませんが、それにしてもどの条件がどの確率で起きるかなどが分からなければ語りようがないのだと私は思いました。
なぜ、このようなギャップが生じてしまったのでしょう。一つは、専門家と社会とのコミュニケーションの不足が挙げられるようです。コミュニケーションと言っても、成果発表をはじめとする研究者側からのアプローチだけでなく、専門家がすべてを語りえるものではないという世間側のリテラシも含まれます。ウェブの発展により、本来ならば媒介を必要とした専門家と社会の交流が、より直接的なつながりになったことを大いに活用すべきでしょう。


ここで上げたパネルディスカッションの内容は、話し合われた全てではありません。私の筆が続かないためにかなり端折った部分もあります。とはいえ、工学部の人間としては、震災によって明らかになったさまざまな問題、特に報道関係のお二人が「社会の要請と専門家が提供できる限界」について語られたことは、かなり興味深かったです。