フィガロが結婚

東京文化会館フィガロの結婚を観てきました。
観ていて思うのは、喜劇の基本は、モーツァルトの昔から変わらんねぇということ。きちんと客に見せる形で伏線を張り、無理のない機転と間抜けさとで回収する。物語の鉄則でもあるのですが、物語の最初に提示されて最後に回収されるような長いスパンの伏線と、一つ二つ前の場面とをつなぐ伏線とをうまく織り交ぜて話を作るのは、意外と大変だったりします。キャラクタの紹介も大切です。登場人物たちのキャラクタや人間関係をきちんと描けるというのも大切ですよね。オペラに限らず演劇でも映画でもそうなのですが、物語は作者の手を離れ、舞台美術や演出家を経て、最終的には演奏や演技を通じて客の手に届けられるわけです。
と、前書きを長くしたのは、この公演の美術と演出が気に入ったから。まず衣装の色彩が気に入りました。派手すぎず、かつキャラクタの人間関係や性格、立場までもきちんと考えた衣装というのは、ある意味当然なのですが、結構難しい。なにしろ、身分差や資本力を真面目に考えると主人公の服に華がなさすぎますし、主人公を派手にすると逆に脇役が目立たなくなってしまいます。というわけで、そのあたりが良い塩梅だったのが大変うれしかったです。大道具もシンプルな構成で見やすく、かつ場面を想像しやすくできていました。モノクロというか、クリームと灰色で大道具の色を統一しているため、役者の服の色を自由にできたのかも知れません。
役者の演技もかなり考えられていて、役者もその意図を呑み込めていたのでしょう。結構細部まで楽しめました。ところどころ(さっきまで入口がなかったはずのところに出入り口ができたりとか)気になるところはありましたが、まあいいや、って思えるくらいには楽しかったです。ちなみに、演出家御一行は私の数メートル前の席でした。「あれ、わざわざ日本まで来てオペラ観に来る外国人もいるもんだなぁ」と思ったら、カーテンコールで舞台上にいるという衝撃。
個々のキャストは言うと、ケルビーノ*1は、歌も良かったですし、演技もズボン役の立場を最大限生かしたファンサービスが良かったです。あと、マルチェリーナ*2は主要キャスト中唯一のふくよかキャラを最大限利用した怪演で大層笑わせていただきました。他のキャストも甲乙つけがたく良かったです。スザンナは通の人には不評かもしれませんが私は採点が大変に甘いので花輪*3に免じてよしとします。あと、恐らく高音の綺麗な人で揃えたためでしょうが、音が低くなると重唱でも音の厚みが薄くなるのは少し残念ですが、楽しめたからいいや。
オーケストラも結構メリハリがあって好き。ああいう伴奏ではなく場面を作る演奏は良いと思います。モーツァルトとかの時代の曲って、機械的に伴奏するとピアノでいいじゃん状態になると思うのですが、そこはプロですよね。よかったよかった。






その後、上野から小金井まで移動して、別のコンサートを聴きに。愛の妙薬とランメルモーアのルチアのドニゼッティのハイライト二本立て。こちらのコンサートは小さい規模ながら、歌手と客がすぐ近くに居たために、文化会館よりも歌手の力量が問われました。加耒徹氏は安牌。っていうか、歌手五人でハイライト二本立てってすげぇなぁ。

*1:主人公の主人に仕える小姓、こいつのおっちょこちょいが物語をよく動かす。

*2:途中で主人公の生き別れの母親と判明する、主人公を狙う女性

*3:三代前の首相から花輪が来ていた。