風立ちぬのあれ

<ネタバレありで>


この映画は、歴史と文学と工学の知識をより多く持っている人ほど楽しく見れる映画です。あまり子供向けではないし、何かデンジャラスでドンパチングなアドベンチャーを求めている人にも向きません。
大雑把なあらすじを書くと、男性視点から見た恋物語で、深窓の令嬢みたいなのが相手になります。恋愛方面の展開は、同名の小説が代表の一つとされるサナトリウム文学なんてジャンルがありますが、結核でヒロインが死にます。療養所を抜け出して主人公のところに会いに行くような行動力やかいがいしさ、死ぬ姿を主人公に見せまいと再び療養所へ戻るあたりが見る者の涙を誘います。また、主人公の堀越二郎は新進気鋭の航空機設計者です。ゼロ戦の設計者として有名ですが、作中ではその一世代前の七試および九試戦闘機を設計しており、その設計が物語のもう一つの軸になっています。
実在の堀越二郎は煙草も吸わず奥さんは健康で子供も二人いるのですが、この映画の世界の堀越二郎は煙草を吸いますしヒロインを亡くします。このように、前提とする知識が多ければ多いほど、映画に出てきたあれは何だったのか、本物はどうなのかということが思い浮かぶようにできている映画なのです。一方で、実在の人物と同姓同名で同じ仕事に就いていながらも全く違うキャラクタが出来上がっているように、意図的に現実と違う物語を作っているところがあります。一応、歴史上の出来事には手を付けず、登場人物を創作するという線引きですが、現実との差を楽しみつつ物語世界を旅することができるようになっているのです。
主人公のキャラクタも面白く、自分の興味がある事以外はてんで関心を示さず、主人公を慕う実の妹でさえも来訪を忘れられるといった感じです。オペラの世界ならば自分の仕事そっちのけで惚れたヒロインのいるサナトリウムへ駆けつけるなり、二人して駆け落ちするなりするものですが、自分の仕事を優先してヒロインの方がやって来るという物語の展開を作るには理想的ともいえるキャラクタでした。一度喀血して倒れたヒロインの元へ職場の名古屋から東京へ行く場面もありますが、道中の汽車では設計図を描いていたり、着いたその晩の夜行で名古屋へ戻るという強行軍で仕事をこなしています。えてして研究者、技術者にはこの手合いが多く、そういう性格の人がこの世にいることを知らなければ、本作の主人公はただの無愛想で平板な口調の男になってしまいますが、それもまた物語の仕掛けなのかもしれません。
なお、「この世界ではそういうことになっている」という約束を見つけ、その約束を通して物語世界と現実世界との比較をすることで、自分の認識や価値観を見直す遊びもできます。仕掛けが多い割には破綻しない物語というのは、面白いです。