やってみたいこと

人生の岐路っていうものがあります。
あればあるで選ぶのが難儀だし、なければないでフラストレーションの溜まる原因です。
大学に入って教養学部で二年過ごし、しかる後に各学部に分かれて専門的な教育を受けるといういまどき珍しいカリキュラムを組んでいるわが大学で、事もあろう二無事二年生になった私は、そろそろ進級先を決めねばならないのです。
目指すは工学部の電子工学科。ナノテクとかそっち系です。これからの時代は軽量小型で正確無比な製品が世界を支配するに違いないという思い込みと、機械はどこまで人に近づけるかという壮大な野望に、私は突き動かされています。
前者については説明は不要でしょう。とくに電化製品は小さい方が有利なことがいろいろあるので、この分野はまだまだ伸びます。多分。
後者については、SFチックな私の妄想です。何をもって人は人のレプリカを人のレプリカだと認識するのでしょう?換言すれば、人はどのような人のレプリカを理想的だと考えているのでしょうか?
私が思うに、最大の基準は「サイズ」だと思います。
「人間型のロボットを想像してください」といわれたときに、私たちが真っ先に脳裏に浮かべるのは、人なみのサイズをしたロボットだと思います。まさか、東南アジアとかで見られる巨大な涅槃仏サイズを思い描く人はいないでしょう。逆に手のひらサイズのロボットを想像する人も少ないでしょう。いたとしても、そのロボットの機能は大きく限定されたものに違いありません。
おそらく、巨大なサイズの人間型ロボットは、現在の技術でも作成可能だと思います。強度の問題から涅槃仏よろしく寝っ転がすことになると思いますが、軽量プラスティックとジャッキを駆使すれば人間の動作をまねすることはできます。人の思考回路も近年だいぶ研究されてきましたから、3歳児程度の知能をスーパーコンピュータに模倣させることも可能なはずです。すなわち、微細な挙動をするスパコン入り巨大ハリボテを作ることはムリではないのです。ばかばかしいから誰もやらないだけなのです。そもそも、そんなものを作っても誰も喜びませんし。
だからこそ人間サイズに収まる装置が求められているのです。
技術を進歩させれば、より複雑な情報の入出力が可能になるでしょう。単純な情報から複雑な動作をするプロセッサもできるようになるでしょう。受け取った情報から滑らかに動作をする機械もできるでしょう。いえ、おそらく世界中でそれを目指している人がいるはずです。そして誰かが、できれば私がブレイクスルーを果たし、nonhumanの人を作り上げるはずです。
聖書にある「神は自身に似せて人を作った」に倣い、「人は自身に似せてそれを作る」のです。
あくまで、私の野望ですが。