勉強したい

勉強したいという気持ちを久々に得られました。多分、3〜4年ぶりくらい。まだまだ脳みそのモチベーションが保てる。それだけでもうれしい。
「勉強したい」は「勉強しなきゃ」や「勉強してみたいな〜」と似ているようでだいぶ違います。何かに急きたてられているのでも、遊び感覚で興味がわくのでもなく、なんの役に立つかわからない深い知識を得たいというこの気持ちは、大切にしていたいですね。
本業の大学関係ともサークル関係とも違う、まったく多分に個人的なものですが、それでもよいのです。勉強したいという気持ちは他の方面へも波及しますから。気をつけねばならないのは、あれもこれもと他の方面ばかりに気をとられてしまい、疲労感ばかりが残ってしまうこと。さすがにこの年齢で過去の失敗を繰り返すつもりはありませんが、意識してかからないといけません。
4年前の私は、学校やその先に控えるとされている大学への勉強に気をとられて、すべてに焦燥感を覚えていました。思想的にも浅く、残酷なジュヴナイル小説のような妄想を日々募らせていただけでした。
「前の馬車がコケているのに、自分の馬車にコケた馬車の轍を走らせてはならない」
轍を踏むの語源だそうです。気をつけねば。

独り言はさておき、今日は朝から夕方までオペラの練習でした。舞台の上の人は小さいですから、遠くから見てもわかるようにと動きを大きくしているのですが、動きに頭を使うと肝心の歌がおろそかになるので気をつけねばなりませんね。楽譜と歌詞もしっかり体に叩き込んでおかねばなりません。わかりきっていても難しいのです。裏を返せば楽譜と歌詞に気をとられると動作がみみっちくなってみっともないのです。演劇を舞台からやった経験はありませんが、高校の文化祭を見ている限り、演義というのは演者が思っているよりも小さく見えるのです。そして、小さな動きでは単に仲間ウケ、自分ウケにしか見えないのです。はっきり言って「お寒い」のです。過剰演義も寒いじゃないかといわれそうですが、そもそも舞台の筋書きってリアルをデフォルメしたものだから、大げさな動きは問題ないわけです。たぶん。
与えられた役になりきりつつ、本来わからないはずの未来にそってきちんとした動きをこなす!それがたとえ酔っ払いといえど!