真夜中の冒険




せっかくボスニア・ヘルツェゴビナに来たんだから、この国の世界遺産ぐらい見てみようじゃないか、ということで、今週末はボスニア南部モスタルにある世界遺産、スタリー・モストを見てくることにしました。
出発は金曜の午後9時バニャ・ルカ発の夜行バス。
旅行書や以前の週末旅行からサラエボまで5時間、サラエボから3時間でモスタルにつくので、モスタルには早朝着ということが予想されます。
果たして、夜行バスは道中大きな問題もなく*1午前2時にモスタルに到着。
・・・あれ?
早朝であろうとは予想していましたが、まさかこんなに早くつくとは予想していませんでした。
どこにも到着予定時刻が書かれていないし、バスターミナルのおっちゃんたちは英語が全く通じない*2し、そもそも幹線道路といっても片側一車線がデフォルトの国でダイヤなんて当てにならないし。
いえ。きちんとチェックしなかった私が悪いんです。
ただ、モスタルだけじゃなくて近くにあるクロアチアの飛び地、ドブロヴニクまで足をのばすためには、どうしても土曜の午前にモスタルに着いていたかったんです。
これ以外の便だとモスタル到着が土曜の午後になり一泊余計に費やすことになるから、結果的に頭の悪すぎる旅行プランになりましたが、これでいい・・・ん・・・です。
週休二日で週末にしか旅行に行けないという大前提があるせいでこうなったのであり、日程に余裕があればこんな無理をしなくてもモスタルに一泊すればよいだけの話なのです!そうだといったらそうなの!



気を取り直して、せっかくなので誰もいないスタリー・モストを独り占め。

さて午前4時40分、なにやら礼拝を呼び掛ける放送がモスクから聞こえてきます。
さすがイスラム教圏。バニャ・ルカと同じ国とは思えないです。
この橋は、オスマン・トルコ時代に建てられた石造りのアーチ橋で、太鼓橋のように真ん中を盛り上げて切り立った崖の間をつないでいます。
ボスニア紛争時、撤退するセルビア人勢力に周辺の橋もろとも破壊され、かろうじて崩落だけは避けられていたにもかかわらず、クロアチア人勢力にとどめを刺されちゃったらしい悲劇の橋でもあります。なお、2004年に修復工事が終わり、現在は修復の過程で発掘された過去の橋の基礎跡なども博物館として展示されております。
橋以外にもこの町にはいろいろ内戦の爪痕が残っておりこんな家もあったり。

「見ろ!壁は穴だらけ、一階は廃墟だけど二階が無事だからまだまだ使うぜ!」
・・・梃子でも動かないとは、こういうことを指すんでしょうね。
昼過ぎには折よくドブロヴニク行きのバスが来ました。


バスに揺られて3時間、クロアチア南部の飛び地、ドブロヴニクです。
ドブロヴニクは8世紀以来のアドリア海の主要な貿易港の一つで、城壁に囲まれた旧市街が丸ごと世界遺産に登録されております。
この町もまた、独立に際して旧ユーゴ側の砲撃を受けて破壊されましたが、何とか復旧。
今では世界遺産+戦跡+海水浴場の三点セットが揃ったヨーロッパでは著名な観光地の一つになっています。

オーストリア・ハンガリー帝国オスマン・トルコの影響を見てとれるボスニアと違い、山を一つ隔てただけのこちら側は、イタリアのような南欧のデザインが主流となり面白いです。

*1:時折エンジントラブルを起こして立ち往生している長距離バスを見かける。自分が乗ってるやつじゃなくてよかった。

*2:ところが、スーパーやパン屋でレジ打ってる若い店員は英語が通じる。なんとも人材の無駄な話だ。