箱の中の町から

ドブロヴニクは差し渡し500メートル程度の城壁に囲まれた小さな町です。

今でこそ町は城壁を越えて広がりましたが、中世のころはアドリア海にぽつねんとある交易港でした。
同時に、オスマン・トルコ領にも近い最前線でもありました。
そのような歴史からか、城壁の中にぎっしりと建物が敷き詰められ、橙色の瓦屋根が太陽にまぶしい世界遺産が出来上がったのです。
ドブロヴニクの旧市街は、海側と陸側に小高い丘があり、中央の大通りがもっとも低くなる谷のような構造をしています。
私が泊ったのは海側の丘の頂上付近にあるホステル。近隣は現役の住民の人たちが住んでいます。
そう、城壁の中は博物館と土産物屋、レストランで占められているような印象がありますが、このように奥まった場所には今でも人が住んで生活しているのです。
学校もあります。うーむ。コンパクト。
歴史博物館、海洋博物館には、この町が交易で栄えた歴史が細かく記されており、必見です。
さて、ドブロヴニクの写真を見てお気づきの通り、この町の屋根はほとんどが同じ時期に張り替えられたものです。
時代を経た瓦屋根は真っ黒に汚れており、歴史的価値とは裏腹に、遠目にはお世辞にも美しいとは言えません。
なぜ、このように瓦が全部張り替えられたかというと、旧ユーゴ紛争の時期に、ユーゴスラビア軍の砲撃で町が破壊されてしまったから。
足りない部分は新しい石材やコンクリートで修復し、かつての姿に戻したため、観光客の目に届く限りに焼け跡は見えませんが、今でも廃墟や修復中の建物が多くあります。
でも、この山と海に挟まれた都市はとっても綺麗。

どうしてクロアチア、ユーゴ双方がこの町を重視したのか。それは、山の反対側には住みたくないから。

・・・これじゃぁ、この町に固執するしかありませんよね。


そんなドブロヴニクも、できればもう一泊して海水浴などを楽しみたかったのですが、月曜から研修という名の仕事が待っているため、やむなく撤収。
3時過ぎにはサラエボ経由のゼニツァ行きのバスに乗ります。ゼニツァはサラエボの北50キロにある町。ボスニア・ヘルツェゴビナの連邦側の北のはずれです。そこから先は「セルビア人の領土」ということで直行のバスがないのです。この国の長距離バスは、道路の結節点以外は自民族の都市同士しか結んでいないので、旅行者には少々不便。私も、モスタルで一度乗り換え、クロアチア人の町を経由していくザグレブ行きのバスでバニャ・ルカに帰りました。
とはいえ、このあたりはもう一度来たいですね。できればまた夏休みにゆっくり過ごしたいです。