非常に残念な日本

昨日今日と、輪講の準備とかに追われながら、水曜日に野次馬した「ノーベル賞フィールズ賞受賞者による事業仕分けに対する緊急声明と科学技術予算を巡る緊急討論会」が社会にどのように報じられているかを見ていました。
非常に残念なことに、というか案の定、事業仕分けに対する批判や、ボツになったスパコンの予算に関連して報じられていたために、読みようによっては、権威を振りかざして老人たちが小遣いをせびっているように受け取れるものが目に付きました。
あの場に居合わせた一人としては、そのようなスケールの小さい話をしていたわけでは決して無い、と断固主張したいと思います。そもそも、研究者というのは、昔から単年度ごとにあちこちに予算をたくさん要求してはたくさんボツにされるというのを繰り返しているので、でかいプロジェクトだろうがなんだろうが、予算が付かなくて涙目という展開には慣れっこになっているのです。


もちろん、きっかけが事業仕分けであり、予算の削減である以上、金にまつわる話に声明は踏み込んでいますが、先生方が記者会見に際して添えたコメントで見据えていたのは、もっと根本的な話でした。
何かというと、まず一つは社会の科学に対する認識の話。日本では、実は科学技術に対する関心が非常に低く、学者の難しい世界だと割り切って見向きもしない人が多いのではないかと思います。せいぜい、最新の技術を採用した新製品に喝采を送る程度が関の山かと思います。そのような心構えの人しかいない社会では、遅かれ早かれ科学に対する理解*1が消え去るであろうという危機感がありました。
もう一つは、研究職の魅力についての話。スパコンの陰に隠れてあまり注目されていませんが、一般の研究に対する交付金、若手研究者向けの交付金などの予算も事業仕分けで削られています。残念ながら、一般的に資本主義の社会では優秀な人間ほど金のある場所を志向するという前提ですから、研究の成果を出すことによって研究費が増え、地位を得、社会的な名誉を得るという将来設計しか描けない研究職に対する魅力が、事業仕分けだけを見ると著しく減退しているのです。大抵の研究者は、徒弟制度の中で親分の研究の手伝いでこき使われながら、合間に自分の研究をし、出てきた成果によってステップアップするという人生を送ります。すぐに成果が出る研究、実用的な研究というのは、企業が大金をかけて自前、あるいは既に名の通った研究者と連携してやるので、若手にとっては「どんな成果が出るかわからない」自分の研究に金を出してくれないというのは死活問題です*2。世界と渡り合える潜在能力があるならば、日本を捨てた方が出世の早道であると、今大学で学んでいる研究者の卵たちが気づくのは、そう遠くない未来の話だろうという主張は、声明の中にも盛り込まれています。



こういった、学術の世界と社会全般に横たわる問題を看過できない、というのが声明の趣旨であり、その問題が事業仕分けの乱暴な議論を生み出しているのだと警鐘を鳴らしたのがあの声明の内容だったと、私は考えております。
予算が付く付かないだけを報道しているのは、非常に残念です。

*1:これは、別に科学に無批判であれという意味ではなく、研究の内容や成果などについて、科学者が社会にきちんと説明し、社会が科学者に対して興味を持つ、というもの。

*2:だいたい、科学ってのは「なんの役に立つかわからない」のが普通。例えば、今では通信回線の根幹を成す光ファイバも、一番最初に開発されたのは1930年代であり、芽が出てから実がなるまで70年かかったことになる。