オバマとハトヤマ

一昨日、オバマ大統領の一般教書演説がありました。また、昨日は鳩山首相の施政方針演説がありました。両者は、多少趣旨や目的は違いますが、一国の指導者が述べる今後の抱負と考えて差し支えないと思います。
しかし、書き起こされた双方の演説を読むにつけ、オバマと鳩山の差を思い知ります。何でもアメリカに学べばよいとは思いませんが、イデオロギーに忠実である一方で地に足の着いた言動をとる人間が政界におり、それがきちんと指導的地位につけるところは見習うべきだと思います。別にオバマもブッシュも必ずしも国民全員が正しいと考える政策を執っているわけではありません。ですが、聞くだけは聞いてやろうかという気持ちにさせる何かがあると感じます。


一般教書演説の冒頭をちょっと抜書きします。私が訳したので誤訳がある可能性はありますが、致命的な間違いは無いはず。適度に意訳した他、カッコ内は私がつけた訳注です。

Our Constitution declares that from time to time, the President shall give to Congress information about the state of our union. For two hundred and twenty years, our leaders have fulfilled this duty. They have done so during periods of prosperity and tranquility. And they have done so in the midst of war and depression; at moments of great strife and great struggle.
私たちの憲法は、時に応じて、大統領は議会に国の状態に関する情報を与えるべしと宣言しています。220年の間、私たちの指導者はその義務を果たしてきました。繁栄と安定の中、彼らはそうしてきました。戦争と不況の中、大きな争いと戦いの中であってもそうしてきました。


It’s tempting to look back on these moments and assume that our progress was inevitable – that America was always destined to succeed. But when the Union was turned back at Bull Run and the Allies first landed at Omaha Beach, victory was very much in doubt. When the market crashed on Black Tuesday and civil rights marchers were beaten on Bloody Sunday, the future was anything but certain. These were times that tested the courage of our convictions, and the strength of our union. And despite all our divisions and disagreements; our hesitations and our fears; America prevailed because we chose to move forward as one nation, and one people.
過去の時代を振り返って私たちの繁栄が必然であると-- アメリカは成功するよう運命付けられていると-- 考えるのは魅惑的です。しかし、例えば(南北戦争時の)ブルランの戦いや(第二次世界大戦、ノルマンディの戦いにおける)連合軍のオマハビーチへの上陸時には、私たちの勝利は極めて疑わしいものでした。株価の暴落が起きた暗黒の火曜日や、公民権運動のデモ隊が暴行された血の日曜日など、将来の見通しが立たない時代もありました。これらは、私たちの信念、そして私たちの団結が試されたときでした。そして、私たちは全ての分断と対立、躊躇と恐怖に、アメリカは打ち勝ってきたのです。なぜなら、私たちが一つの国、一つの国民として前進することを選んだからです。


Again, we are tested. And again, we must answer history’s call.
そしてまた、われわれは試されています。そして再び、私たちは歴史の問に答えねばなりません。




対する、昨日の我が国の首相の施政方針演説の冒頭です。

いのちを、守りたい。


いのちを守りたいと、願うのです。


生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。


若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。


働くいのちを守りたい。


雇用の確保は、緊急の課題です。しかし、それに加えて、職を失った方々や、様々な理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体のあり方を考えていきたいと願います。


いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはなりません。


一人暮らしのお年寄りが、誰にもみとられず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければなりません。誰もが、地域で孤立することなく暮らしていける社会をつくっていかなければなりません。


世界のいのちを守りたい。


これから生まれくる子どもたちが成人になったとき、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたいと願います。


世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会をつくっていこうではありませんか。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければなりません。


今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、いのちを守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたいと思います。


地球のいのちを守りたい。


この宇宙が生成して137億年、地球が誕生して46億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活をおくれるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの1万年は、ごく短い時間に過ぎません。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えています。約3千万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約4万の種が絶滅していると推測されています。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活をおくることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気づかなければなりません。


私たちの英知を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です。本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務めます。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければなりません。


私は、このような思いから、2010年度予算を「いのちを守る予算」と名付け、これを日本の新しいあり方への第一歩として、国会議員の皆さん、そして、すべての国民の皆さまに提示し、活発なご議論をいただきたいと願っています。




別に我が国の首相を貶めるわけではないですが、オバマ大統領の文章はまず「アメリカ」を見ています。例えば、引用されているのは全てアメリカ史において重要なエピソードです。何にも増して国を預かる身として、自国の話からスタートするのは当然といえば当然ですが、アメリカの団結というイメージを強調しています。
さて、我が国の首相はどうか。実は我が国の首相は「日本」を見ていません。最初に若い世代の少子化と雇用と高齢者の話が出ていますが、次はいきなり世界です。
日本を飛び出しました。
そして人類というテーマを広げ、最後に「日本の新しいあり方」とようやく日本に焦点が合ったものの、ここで前文が終わってしまいます。


一番最初に若者や労働者、高齢者の問題が最初に出てきましたが、この国が抱える病はそのような局所的なものではない、ということは恐らく日本国民全員が共有する気持ちだと思います。硬直化した社会制度や揺るがぬ権威主義、利権への固執*1など、この国には様々な病が蔓延しており、不利益をこうむる国民が居るならば、それは病巣ではなく病徴だといえます。
首相の言葉に違和感を感じるとするならば、原因を深く突き止もせず、発生した現象を解決したいと安易に語る姿ではないでしょうか。
そこに世界の話題を続けても誰も感心しません。自国内のことすら満足に把握していない指導者に世界を語る資格は無いからです。


ここでは割愛しましたが、オバマ大統領の一般教書演説でこの後に出てくる世界は、常にアメリカと対比した世界です。環境問題でさえ「環境技術が将来必要になると考え、しのぎを削る国々がある。アメリカは二番手に甘んじて良いのか?そんなことは無い」というような調子で、常に「アメリカかくあるべし」というスタンスです。
なぜか。
もちろん大抵のアメリカ人が自分たちのことしか考えていないというのもありますが、オバマ大統領自身がアメリカという一国を率いる立場であり、演説している場所が連邦議会というアメリカを扱う場だからだと私は考えます。
一見、相手の利益に反するようなことを主調するのであれば、きちんと最終的には自分自身の利益になるという根拠を示して相手を説得せねばなりません。アメリカが京都議定書を反故にしたのも自国の利益のためですし、それから10年もたたずに環境技術に注力すると主張を翻したのもまた、自国の利益のためなのです。


どれほど人間が高尚な生き物であろうとも、所詮は動物、すなわち個体の利益、所属する群れの利益と、自分に近いところの利益を優先する習慣からは逃れられない存在なのです。
そういう視点から見れば、同じ辛くも虎口を逃れた経済情勢の中であっても、自分が掌握する群れについて語るオバマ大統領の声は「苦しくても俺と描こう輝く未来」であり、群れの問題の原因にも満足に触れずに夢を披露する我が国の首相は「君たちに見せてあげようお花畑」であると私は感じます。


何というか、アメリカと日本では国内問題の根本が違うと思うのですが、施政方針のスタート地点をそこにするか否か、危機に際して理想を語るか夢想を語るかでこうも印象が変わるものかと考えました。

*1:利権は金持ちだけが持っているものではない。労働者ですら日本が豊かだからこそ持てる利権を持っている。