(試してないけど)準備万端

東京電力が「福島第一原子力発電所事故の初動対応について」と題したレポートをウェブにあげています。2日に公表された中間報告の中から、特に3月11日から15日にかけての初動に絞って書かれたもののようです。
「[http://www.nhk.or.jp/special/onair/111218.html:title=NHKスペシャル」などのドキュメンタリ番組よりも、これを読んでおいた方が、あの日に何があったのか理解が進むと思います(専門用語とかも多くて読みづらいけど)。
不運と幸運が山のようにあり、複数のプロットが交錯している壮大なドラマから、私が面白いと思ったものをいくつか抜き出してみようかと思います。


(1)副社長置物化
一般的には、津波が押し寄せるまで、東京電力の災害対策はきちんと機能していたと思われていますが、実はそうではありませんでした。
東京電力では、大災害が発生したときに現地対策本部を設けることを規定しています。災害の発生場所に応じてどこに本部を設け、本社から誰を派遣するかも決まっていました。今回は、東北地方が被災しており、原発が立地しているため、大熊町にあるオフサイトセンターへ原子力部門の副社長を送る取決めでした。
ところが、肝心のオフサイトセンターが停電したうえ、非常用ディーゼル発電機が故障してしまい、対策本部を開けません。修繕が終わって現地対策本部が機能を始めたのは、地震から12時間後の12日午前3時過ぎ。しかも、その後に放射線量が上昇したために福島県庁へ再度移転することになります。現地対策本部が初動においてほとんど機能しなかったことが、事故対応にどれほど影響を与えたのかは定かではありませんが、現地対策本部は自治体や国との連絡にも使うため、目論見が外れたことは確かでしょう。


(2)電源を探せ!
地震で送電線が切れ、津波により非常用のディーゼル発電機とバッテリーが壊れた福島第一原発。原子炉を冷やすためには冷却装置を動かす電源を用意せねばなりません。電源車の移動は始まっていましたが、到着までの間、指をくわえてみているわけにもいきません。送電線や発電機は修理に時間がかかりますが、一方でバッテリーは交換すればよいのです。そこで、浸水したバッテリーはあきらめて別のバッテリーを用意することに。しかし、非常用電源として用意されていたバッテリーには、なぜか予備がありません。そこで、発電所内にあった車のバッテリーを使うことに。発電所で使われていた直流電源は、24ボルトと125ボルトのため、12ボルトの自動車用バッテリーを直列につなげばいくつかの機材を動かすことができるのです。
電源車をつなぐまでの時間もわからないので、各地から様々なバッテリーがかき集められます。
中には、はるばる新潟の量販店から持ち込まれたものもあったようです。あるいは、業務用の大型バッテリーも自衛隊のヘリコプターで運ばれたらしいのですが、重量が一個143キロもあり、手作業で運べないので使われなかったという悲しい出来事もあったようです。電池ひとつとってもドラマがあります。
一部の報道で電源車のプラグの形が合わずに使えなかった、というものがあったのですが、このレポートによれば、どうやら自衛隊の電源車だったようです。さすがに電力会社の電源車はきちんと接続できた模様ですが、瓦礫などに邪魔されて余計にケーブルを引き回さねばならなかったとか。


(3)たまたまそこにあったから……
福島第一原発では、地震の影響で道路が陥没していたり、津波でがれきが散乱していたりと、移動が困難な状況でした。しかし、幸運なことに、福島第一原発ではそのとき耐震補強工事を行っていたのです。そのため、ショベルカーやセメント原料の砂利などがあったため、道路の復旧やがれき撤去が速やかに行われたようです。もし工事がなければ、重機の搬入から始めねばならないことになり、事故はより深刻な経過をたどったかもしれません。電源車にしても、4号機の修繕に使う予定だった高圧電線がなければ、原発建屋の配電盤と接続するためにより時間がかかっていたかと思われます。
無論、工事があったために作業員がいつもより多めに所内にいたことも幸いしました。こういう時に一番不足しがちなのが、人手ですから。
逆に言えば、いざという時に必要な人員が、実は全く足りてなかったということでもあります。


(4)水分補給クエス
原子炉を冷却するのに一番大切なのは、水です。特に、冷却がうまくいかずに水が蒸発し続けている状態では、水の補給が焦眉の急です。
とはいえ、現場は夜になり真っ暗。瓦礫も散乱していて普段と勝手が違います。消防車による注水を試みることになったのですが、消防車が水を送りつける送水口をまず最初に見つける必要が出てきました。12日未明、最初に瓦礫を撤去しながら送水口を探したときには発見できませんでした。午前2時、人数を増やして再度探すも発見できませんでした。3:30に現場に詳しい社員と共に再度現場に行って送水口を発見。どうやら「現場に詳しい社員」を仲間に加えないとクリアできないクエストだったようです。笑い事じゃないですが難しいですね。
送水口に消防車をつないでからも問題は続きます。圧力を下げるためにベントしたり、給水系を切り替えたりするためには、配管のバルブを開けたり閉じたりしないといけないのですが、日頃はボタン一つで開閉するはずのバルブを、電源喪失のために手動で扱わねばならなくなってしまったのです。高線量の原子炉建屋内での作業をはじめ、当初の報道からこれら作業の危険性、困難性は盛んに報道されていましたが、この作業を余計に困難にしたのは、発電所の不親切設計にあったようです。つまり、人力で開閉することをあまり想定していなかったために、バルブを扱う場所が狭い場所だったり、非常に重たいハンドルだったりと、扱いづらい状態だったのです。ある弁などは、10人がかりで1時間かけてやっと開いたと書かれています。
緊急時にしか使わない、むしろ緊急時にこそ使うバルブなのに10人投入しなければいけないとは、設計として間違っていると思います。


(5)生きた心地
大量の放射性物質が撒かれ、水素爆発まで起きてしまった福島第一原発ですが、原子炉そのものが破壊される事態を回避できたのは、ひとえに現場の作業に当たった人々の活躍によるものです。レポートには一部の証言しか載っておりませんが、それでも死を間近に感じた人たちの生々しい声は雄弁です。こればかりは茶化すこともできません。精神的な負担から、体調不良に陥った方もいらっしゃるようです。電気系出身としては「水浸しの部屋の中で機器操作する恐怖」とか「電線とニッパとビニールテープだけで12V電池を10個直列に配線する恐怖」とかが生々しく感じられたです。
改めて、彼らに感謝を。
早期の事故終息を祈念して。